「鎌倉殿の13人」頼朝の弟・義円が挑んだ墨俣川の合戦…第11回放送「許されざる嘘」予習

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「鎌倉殿の13人」頼朝の弟・義円が挑んだ墨俣川の合戦…第11回放送「許されざる嘘」予習

頼朝と義時が話しているとき、若い僧が現れた。
「源義朝が八男・乙若でございます。今は義円と名乗っております」
優しげな義円を、義時と頼朝が好意的に見つめた。
庭で義経が、義時たち三人の様子を見ていた。

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第10回あらすじより

平治の乱より20年、生き別れとなっていた源頼朝(演:大泉洋)の兄弟たち。源義経(演:菅田将暉)、全成(演:新納慎也)、源範頼(演:迫田孝也)……。

そしてこの義円(ぎえん)が駆けつけたことで、みんな集合できました(※本当は他にもいますが、恐らく割愛)。

成河さんが演じる若き僧侶は、どのような活躍を見せるのでしょうか。今回紹介するのはそんな義円の生涯。第11回「許されざる嘘」の予習になればと思います。

乙若丸の生い立ち

義円は久寿2年(1155年)。冒頭の自己紹介どおり、源義朝の八男として誕生しました。

幼名は乙若丸(おとわかまる、おつわかまる)、常盤御前(ときわごぜん。義朝の側室)との間にもうけた二番目(乙)の子供を意味します。

母の胸に抱かれ、兄・今若(全成)に遊んでもらう乙若(義円)。まだ牛若は生まれていない。歌川豊国「左馬頭義朝の妾 常盤御前」

母の常盤御前は都でもとびきりの美女だったそうですから、さぞや乙若丸たちも美しかったことでしょう。

頼朝(母は正室の由良御前)にとっては異母弟に当たり、同母兄弟には七男の今若丸(いまわかまる。全成)・九男の牛若丸(うしわかまる。義経)がいました。

しかし、平治の乱に敗れた父が非業の死を遂げると、乙若丸は母や兄弟と引き裂かれてしまいます。

「……母上……」

「命ばかりは救われたのです。これも平相国(平清盛)様のお慈悲と心得て、強く生きるのですよ……」

当時6歳の幼子であった乙若丸は死一等を減じられ、園城寺(おんじょうじ)で出家することに。名前も僧侶にふさわしく円成(えんじょう)と改めます。

これは母が再婚した一条長成(いちじょう ながなり)と、長成のコネで受け入れてくれた円恵(えんけい)法親王の名前から一文字ずつとったものです。

乙若丸あらため円成は円恵法親王に仕え、仏道修行に明け暮れるのでした。

頼朝の挙兵に呼応、寺を飛び出して源行家と合流

しかし治承4年(1180年)、伊豆国に流されていた異母兄の頼朝が平家討伐の兵を挙げると、円成は居てもたってもいられなくなります。

自分もやはり武士の子。亡父の仇である平家討伐に一旗上げたい……還俗(げんぞく。僧侶をやめること)した円成は名前を源義円と改めました。

「聞けば奥州の牛若も兄者の元へ馳せ参じたとか。我も後れてはおれぬ!」

早々に園城寺を発った義円はまっすぐ鎌倉へ駆けつけたとも、あるいは別行動で挙兵したとの説もあります。

ちょうどそのころ、叔父の源行家(演:杉本哲太)が鎌倉の頼朝とは別に兵を挙げており、義円はこれに合流しました。

源行家。『平家物語絵巻』より

「おぉ乙若、よう参った。そなたがおれば百人力じゃ!」

「ありがたきお言葉。ここで手柄を立てれば、鎌倉の兄上にお喜び下さいましょう!」

「……ケッ」

「え。叔父上?」

「あいや……何でもない」

実は行家、かねて頼朝と反目していたのです。

(あやつめ。流人の分際で嫡流を気取り、この叔父を家人の如く扱いおって……先に上洛を果たして、どっちが源氏の棟梁に相応しいかを見せつけてくれるわ!)

そのために義円の「頼朝の弟」というブランドを、広告塔として利用する肚づもりなのでした。

「叔父上、ここは一刻も早く上洛して平家を討ち滅ぼしましょうぞ!」

「ははは、若いのぅ。まぁ待て、しばし兵を集めるのじゃ」

かくして尾張国(現:愛知県西部)に滞在中、義円は同国愛知郡の郡司・慶範(けいはん)禅師の娘を娶りました。

「源氏の御曹司を婿にお迎えできましたこと、まこと光栄にございまする」

「うむ。共に合力して平家を討ち滅ぼし、鎌倉殿の天下をお支え申そうぞ!」

「ははあ……」

(……ケッ!)

頼朝たちが富士川の合戦(治承4・1180年10月20日)で平家の討伐軍を撃退して以来、源氏の人気はうなぎ登り。続々と兵が参集し、やがて数千騎とも言われる大軍に成長します。

「さて、時は満ちたな」

年も明けた治承5年(1181年)3月、行家と義円の軍勢はいよいよ出陣。

再び源氏討伐にやってきた平重衡(たいらの しげひら)率いる軍勢と、墨俣川(現:長良川)を挟んで対峙したのでした。

狙うは大手柄!単騎で敵中へ殴り込むが……

「いよいよ初陣……緊張するわい」

「大丈夫、この叔父がついておる。あまり功にはやって無理をするでないぞ?」

「はい。ここで武勲を立てて、鎌倉の兄上にお喜び頂かねば、お見送り下さった法親王殿下に合わせる顔がありませぬ!」

ダメだこりゃ、ぜんぜん聞いてない……まぁ問題なかろう。何せ敵は水鳥の羽音に恐れおののいて逃げ出すような連中じゃからのぅ……。

「よぅし。今若の兄者(全成)に牛若(義経)……見てろよ~!」

もう興奮しまくっている義円に、端っから敵をナメ切っている行家……これでは勝てる戦さも勝てません。

単騎、敵中に乗り込む義円(イメージ)

果たして手柄を焦った義円は単騎で敵陣へ夜襲をしかけました。しかし、平家の軍勢はもう水鳥の羽音くらいで慌てるようなことはありませんでした。

「飛んで火に入る、夏の虫とはまさにこのこと……者ども、とり囲め!」

「しまった!」

義円は夜襲を警戒していた平家の軍勢に完全包囲されてしまい、高橋左衛門尉盛綱(たかはし さゑもんのじょうもりつな)に討ち取られてしまいます。

「馬鹿め……見くびるのも大概にせぇ!」

富士川の汚名を返上しようと平家の軍勢は士気旺盛、片や行家の軍勢は数こそ揃っていても、緒戦は勝ち馬に乗りたがるばかりの寄せ集め。

かくして行家の軍勢は散々に打ち破られ、参陣していた源重光(しげみつ)・源頼元(よりもと)・源頼康(よりやす)ら源氏一門の諸将をあたら喪うこととなったのでした。

命からがら逃げのびた行家は今さら頼朝の元へは戻れず、木曾義仲(演:青木崇高)の元へ転がり込みます。

終わりに

以上、義円の生い立ちと墨俣川の戦い(治承5・1181年3月10日)における最期をざっくり紹介してきました。

墨俣川古戦場。Wikipediaより(撮影:Andee~commonswiki氏)

数万とも言われる平家の軍勢にたった一人で殴り込む度胸と、恐らくそれを裏づけたであろう武勇を備えていた若き英雄の死は、今なお人々に惜しまれています。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では頼朝や兄弟たちと再会できるようですが、この短い期間でどのような活躍を描いてくれるのか……三谷幸喜の脚本に期待ですね!

※参考文献:

川合康『日本中世の歴史3 源平の内乱と公武政権』吉川弘文館、2009年11月 元木泰雄『敗者の日本史5 治承・寿永の内乱と平氏』吉川弘文館、2013年3月 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月

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