これぞ不法の法…武士道バイブル『葉隠』が伝える戦国大名・武田信玄のエピソード

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これぞ不法の法…武士道バイブル『葉隠』が伝える戦国大名・武田信玄のエピソード

山はあるけど山梨(やまなし)県……昔そんなジョークを教師から聞きましたが、山梨県は山に囲まれているため、出入りするには必ず山を越えなければなりません。

言うまでもなく、山を越えるのは今も昔も一苦労。それでも山を越えて行き交うパワフルな人々が多かったため、かつて山梨県は甲斐(かい≒交い)国と呼ばれました(※諸説あり)。

今回は戦国時代に「山を越えた」人々のエピソードを、武士道バイブルとして知られる『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より紹介。

歌川国芳「英雄三十六歌仙 武田晴信入道信玄」

戦国時代&甲斐国と言えば……そう、甲斐の虎と恐れられた武田信玄(たけだ しんげん)が登場します。

「山を越えよ」申し渡された者たち

かつて武田家では、罪人に国外追放の判決を下す時に「山を越えよ」と申し渡したと言います。

国外へ出るには山を越えねばならないからですが、追放される中には人望に厚い者もいたのでしょう。

仲の良い者が「名残惜しいから国境まで見送り、そこで送別会をやろう」などと言い出す始末。

当局にとって不都合だから追放するのに、その者を惜しむ行為は主君の意にそぐいません。

「達者でな」追放された者を見送る酒宴(イメージ)

「よいか、今後は追放した罪人の見送りを禁ずる。背く者は曲事(くせごと)である」

曲事とは道理に合わぬ、曲がったこと即ち「けしからん」という意味です。

けしからんのは分かるのですが、それではなぜ具体的に「こういう刑罰を科す」と言わないのでしょうか。

まぁ、罰せられないのなら別にいいか……とばかり一部の者たちは、相変わらず追放者への送別会を続けていました。

その報告を受けた信玄は、送別会を開いた者たちを召し出します。

「わしが曲事と禁じたにもかかわらず、なお傍輩との別れを惜しむ態度に感激した」

として、信玄は褒美として彼らに一倍の加増(所領を100%増やす=2倍にすること)を申しつけました。

「ははあ……ありがたき仕合わせにございまする」

しかし、言いつけを破ったにもかかわらず褒美にあずかる……この不可解な処遇を不気味に思ったのか、以来追放者に対する送別会はピタリと止んだということです。

終わりに

歌川国芳「甲越勇将傳 甲斐国 武田大膳大夫 兼 信濃守晴信入道信玄」

一二四 信玄家中にて、誓言には、「山を越え申すべし。」と申し候由。これは追放の時、領境の山を越え申す故にて候。然るに、追放の者へ暇迄として因みの者、彼の山にて名残を惜しみ、酒宴など仕り候。「この事宜しからず候間、停止すべし。もし相背き候者は、曲事たるべし。」と申し渡され候へども、相止まず候。この事披露候へば、信玄申し渡され候は、「曲事を顧みず、傍輩の別れをしたふ志、感じ入りたり。」とて一倍の加増あり。この以後、酒宴相止み候由。これを不法の法と云ふ。

※『葉隠』第十巻より

……『葉隠』ではこれを「不法の法」と呼び、道理を越えた不可解さで人間の本能に働きかけ、みごと酒宴を止めさせたのでした。

このエピソードの真偽はともかく、もし曲事をもって所領を倍増された者がいたとしたら、さぞかし居心地が悪かったことでしょう。

「あやつは、御屋形様の意に背いてご加増に与かった(≒ずるい)……」

その効果は受けた者の図太さによるものの、もしかしたら、信玄による遠回しな嫌がらせor忖度の示唆だったのかも知れませんね。

※参考文献:

古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、1941年9月

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