「鎌倉殿の13人」頼朝にスキャンダル発覚!壮大な夫婦喧嘩の結末は…第12回「亀の前事件」予習

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「鎌倉殿の13人」頼朝にスキャンダル発覚!壮大な夫婦喧嘩の結末は…第12回「亀の前事件」予習

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、3月20日放送の第12回サブタイトルは「亀の前事件」。

亀の前とは、源頼朝(演:大泉洋)が鎌倉へ連れこんだ愛妾・(演:江口のりこ)のこと。

政子(演:小池栄子)という妻がありながら、都人である頼朝はさも当然の如く愛妾を作ったのでした。

しかし、そのことをまだ政子は知りません。勝ち気で嫉妬深い彼女のこと、もし知っていたらただじゃすまなかったことでしょう。

で、今回はついにそれがバレて大事件に発展。後世「亀の前事件」と呼ばれ、頼朝伝承のハイライトとしてファンに愛されています……よね?

今回はその大筋を紹介。しょうもない浮気男と、気が強いやきもち女の夫婦げんかに、しばしおつき合い願います。

ことの始まり

寿永元年六月小一日庚子。武衛以御寵愛妾女 号龜前 招請于小中太光家小窪宅給。御中通之際。依有外聞之憚。被搆居於遠境云々。且此所爲御濱出便宜地云々。是妾。良橋太郎入道息女也。自豆州御旅居奉昵近。匪顏貌之濃。心操殊柔和也。自去春之比御密通。追日御寵甚云々。

※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)6月1日条より

【意訳】頼朝が寵愛している亀の前という女を、小窪にある小中太光家(こちゅうた みついえ。中原光家)の館に住まわせた。
堂々と通うと外聞が悪いから、少し離れた場所を選んだのだとか。ここなら海で心身を清める儀式にかこつけて遊びに来やすいとのこと。
この女は良橋太郎入道(よしはし たろうにゅうどう)の娘で、伊豆の流人時代から親しかった。顔だけでなく性格も美人で、この春ごろからますます熱を上げているのだそうな……。

亀の前と密会する頼朝(イメージ)

挙兵に際して伊豆に置いてきたけど、そろそろ落ち着いてきたから、と鎌倉に呼ばれた亀の前。

でも、外聞が悪い(と言うより、政子にバレたら怖い)から、少し離れた光家の館に住まわせます。

頼朝「おぅ小中太。この女、俺の愛人なんだけど預かってくれよ」

光家「しょうがないっスね。まったく佐殿もお好きなんだから……」

さて、これからはいつでも亀の前と会えるぞ……もうウッキウキの頼朝は、何だかんだ理由をつけて御所を抜け出すのでした。

壽永元年六月小八日丁未。武衛渡御景廉車大路家。令訪病痾給。自今曉。心神復本之由申之。即令候御共。參小中太家云々。

※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)6月8日条より

【意訳】頼朝が、加藤次景廉(かとうじ かげかど。加藤景廉)の家へ見舞いに行った。すると「今朝がたすっかり回復した」とのことで、快気祝いに小中太の館へ遊びに行ったのだとか……。

勘づく政子と、隙だらけの頼朝

政子「絶・対・あやしい……」

ちょうどこの頃、政子は第二子(万寿丸。後の源頼家)を妊娠中。よくワイドショーなんかで「妻が妊娠すると、夫は浮気する」などと報道されますが、まさにそのお手本みたいですね。

女の勘などつゆ知らず、頼朝は次第に気が大きくなって「もう小窪は通いづらいから、もっと近くに移そう!」などと言い出しました。

頼朝「という訳で、冠者よ。これからこの女の世話、頼むわ!」

広綱「えぇ、そんな……」

確かにここなら通いやすいですが、同時にバレるリスクも格段に跳ね上がります。

しかし、古なじみの光家と違って伏見冠者広綱(ふしみ かじゃひろつな)は最近になって仕えた新参者。頼朝に物申せる立場ではありません。完全にパワハラですね。

政子にバレたらどんな仕打ちを受けることか……ガクブルしていた広綱の館を、牧宗親(演:山崎一)が襲撃。ついに「来るべき時」が来たのでした。

伏見広綱邸before。ここへ宗親が襲撃する(イメージ)

壽永元年十一月小十日丁丑。此間。御寵女 龜前 住于伏見冠者廣綱飯嶋家也。而此事露顯。御臺所殊令憤給。是北條殿室家牧方密々令申之給故也。仍今日。仰牧三郎宗親。破却廣綱之宅。頗及恥辱。廣綱奉相伴彼人。希有而遁出。到于大多和五郎義久鐙摺宅云々。

※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)11月10日条より

【意訳】近ごろ、亀の前を飯嶋にある伏見冠者寛剛の館へ移した。で案の定、浮気がバレ、政子は大激怒。北条時政(演:坂東彌十郎)の妻・牧御方(りく。演:宮沢りえ)が密告したせいである。
で、この日(11月10日)牧三郎宗親が広綱邸を破壊、大いに辱めたのであった。広綱は亀の前を連れて何とか脱出、鐙摺にいる大多和五郎義久(おおたわ ごろうよしひさ。三浦義澄の弟)の元へ逃げおおせたのであった……。

ちなみに牧三郎宗親は牧の方の兄(もしくは父)であり、時政の小舅(もしくは舅)すなわち頼朝にとっては義理の伯父(もしくは祖父)に当たります。

頼朝「政子のヤツ、手を出しにくい相手を選んで犯行に及ばせるとは……許せん!」

でも、政子に真っ向から抗議するのは怖いので、牧宗親に八つ当たりするのでした。

泣いて謝る宗親の髻(もとどり)を……

壽永元年十一月小十二日己卯。武衛寄事於御遊興。渡御義久鐙摺家。召出牧三郎宗親被具御共。於彼所召廣綱。被尋仰一昨日勝事。廣綱具令言上其次第。仍被召決宗親之處。陳謝巻舌。垂面於泥沙。武衛御欝念之餘。手自令切宗親之髻給。此間被仰含云。於奉重御臺所事者。尤神妙。但雖順彼御命。如此事者。内々盍告申哉。忽以与恥辱之條。所存企甚以奇恠云々。宗親泣逃亡。武衛今夜止宿給。

※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)11月12日条より

頼朝「貴様、覚悟は出来ているんだろうな!」

宗親「申し訳ありません、御台所(政子)様のご命令でしたので……」

11月12日、頼朝は遊びに行くという名目で義久の館を訪ね、宗親を責め立てます。

宗親はかわいそうに、恐怖のあまり舌がもつれて言葉も出ず、顔面を泥まみれにするくらい土下座して詫びたのでした。

頼朝「お前なぁ、政子の命令を聞くのは結構だが、こういう案件はまず内々に報告しろよ!亀の前に何かあったら、どうするつもりだったんだ!」

腹の虫が収まらない頼朝は、宗親の髻(もとどり。結い髪の根元部分)を切り落とすという暴挙に出ます。

この当時、頭髪は人目にさらさず、自害の時を除いて切ることはありませんでした(もちろん、整髪くらいはしたでしょうが)。

髪を切るのは命を取ること。逆に言えば、命を取らずに髪を切るのは死にもまさる侮辱と言えます。

髻を切られ、泣いて逃亡する宗親(イメージ)

かわいそうに、宗親は泣きながらどこへともなく逃亡してしまいました。

頼朝「まったく、ふざけた奴だ……さぁお亀。もう怖い事はないからね?今夜は心ゆくまで楽しもうね♪」

亀の前「あぁ、佐殿……」

宗親に手を出して、さすがに政子ひいては北条一族が黙っているとも思えませんが、やっちまったことはしょうがありません。

明日は明日の風が吹くさ……その晩は義久の館で、思う存分楽しんだのでした。

怒った時政、北条一族を連れて伊豆へ帰る

壽永元年十一月小十四日辛巳。晩景。武衛令還鎌倉給。而今晩。北條殿俄進發豆州給。是依被欝陶宗親御勘發事也。武衛令聞此事給。太有御氣色。召梶原源太。江間〔義時〕者有隱便存念。父縱插不義之恨。不申身暇雖下國。江間者不相從歟。在鎌倉哉否。慥可相尋之云々。片時之間。景季歸參。申江間不下國之由。仍重遣景季召江間。々々殿參給。以判官代邦通被仰云。宗親依現奇恠。加勘發之處。北條住欝念下國之條。殆所違御本意也。汝察吾命。不相從于彼下向。殊感思食者也。定可爲子孫之護歟。今賞追可被仰者。江間殿不被申是非。啓畏奉之由。退出給云々。

※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)11月14日条より

「ただいま~っと。あれ?」

頼朝が御所へ帰って来たのは11月14日の夜。ずいぶんとお楽しみだったようですね。しかし、様子がいつもと違います。

「大変です!北条殿が、一族をまとめて伊豆へ帰ってしまいました!

えーと、何で……思い当たる節があり過ぎて逆に意味が分からない頼朝は、急いで梶原源太景季(かじわらの げんたかげすえ。景時の長男)を呼びました。

「いますぐ江間小四郎(北条義時)を呼べ!アイツはまだ鎌倉に残っているはずだ!」

なぜ頼朝は北条義時(演:小栗旬)を名指しで呼んだのか……考えられる理由は大きく二つ。

一、義時は自分に忠義を尽くしてくれる。
一、嫡男ではない義時まで連れて行ったとしたら、時政は本気で怒っている。

上総介広常(演:佐藤浩市)などに比べれば(兵数的には)大したことのない北条勢ですが、頼朝にとっては数少ない身内。

流人時代から共に苦難を乗り越えた仲間を、頼朝は決して忘れない。歌川国久「石橋山高綱後殿高名図」より

逆らったらただ潰せばよいというものではなく、利害関係を越えた絆を感じていたのでしょう。

(だったら北条に連なる宗親の扱いも相応にしなさいよ、そもそも浮気なんてするんじゃないよ……と思ってしまいますが、それはそれというのが浮気男の言い訳です)

景季「江間殿、おりました!呼びますか?」

あぁよかった……これで鎌倉は大丈夫。安堵の溜息をもらす頼朝は、さっそく義時を呼びました。

頼朝「おぉ小四郎。話は聞いていると思うが、牧三郎が不始末をしでかしたので罰したら、舅殿がヘソを曲げて伊豆に帰ってしまったのだ」

義時「はぁ、そんな事があったんですね(何も聞かされてないんですけど……)」

頼朝「しかしそなたは我が意を察して鎌倉に残ってくれた。そなたは必ずや、我が子孫を守ってくれるだろう。その素晴らしい忠義を褒めて遣わす」

義時「ははぁ、ありがたき仕合せ(まぁ、家で寝てただけなんですけど……)」

頼朝「褒美については追って沙汰する……が、その前に舅殿のなだめてきてくれ」

義時「……はい、何とかします」

なんてやりとりがあったのかどうか、後に時政や政子らも機嫌を直し、鎌倉分裂の危機は避けられたのでした。

エピローグ

亀の前「もうあんな怖い思いをしたくありません。どうか伊豆へ帰らせて下さいまし……」

頼朝「まぁそう言わず。もう大丈夫だから……ねっ、ね?」

12月10日、亀の前は大多和五郎義久の館から、小中太光家の館へ戻されます。政子の嫉妬を恐れて身を引きたいのに、頼朝がどうしても放してくれません。

壽永元年十二月大十日丙午。御寵女〔龜前〕遷住于小中太光家小坪之宅。頻雖被恐申御臺所御氣色。御寵愛追日興盛之間。憖以順仰云々。

※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)12月10日条

あれほどの騒動を惹き起こしておきながら、まぁだあの男(頼朝)は懲りないのか……腹の虫が収まらない政子は、八つ当たりとして伏見広綱を流罪にします。

壽永元年十二月大十六日壬子。伏見冠者廣綱配遠江國。是依御臺所御憤也。

※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)12月16日条

頼朝には愛人の世話を押しつけられ、政子には館を破壊され、そして最後は流罪なんて……とことんついてない広綱。彼こそが「亀の前事件」における最大の被害者なのではないでしょうか。

遠江国へ去っていく広綱(イメージ)

ちなみに、配流先の遠江国は出身地ですから、恐らく実際はただ故郷へ帰っただけ(政子の手前、処罰された)と考えられます。これを最後に広綱は『吾妻鏡』から姿を消したのでした。

さて、けっきょく頼朝と亀の前はいつまで続いたのでしょうか。『吾妻鏡』には記述がないものの、しばらく姿を消していた(伊豆辺りに謹慎していた?)小中太光家が3年弱後に復帰するのと入れ替えだったものと思われます。

あと頼朝に髻を切られ、泣いて逃げ出した宗親は、その後ちゃっかり戻って来ました。頼朝の側近としてちょくちょく登場するのですが、大河ドラマでは割愛(逃げたらそのままフェイドアウト)でしょうか。

終わりに

以上、次回放送「亀の前事件」についてざっと紹介してきました。

「頼朝、浮気する⇒激怒した政子、宗親に亀の前を襲撃させる⇒頼朝が逆ギレ、宗親の髻を切る⇒時政が激怒、伊豆に帰る⇒頼朝が慌てて義時を呼ぶ⇒義時がいてくれて安心する⇒政子、腹いせで広綱を流罪に」

実に壮大かつはた迷惑な夫婦喧嘩。巻き込まれた御家人たちは散々だったことでしょう。

こんなゴシップ的においしいネタを三谷幸喜が見逃すはずないと思っていたら案の定。果たして第12回「亀の前事件」では、どんなアレンジが加えられるのか、今からゾクゾクしますね!

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月

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