武装解除の日本史!「刀狩り」は戦国時代の豊臣秀吉だけではなかった【前編】 (2/3ページ)
その後、第5代執権北条時頼の代になると、建長2年(1250年)に対象が鎌倉市中の庶民へと拡大され、帯刀と夜間の弓矢所持禁止令が発令されます。
これらは、武装した寺社勢力が鎌倉幕府にとって脅威となっていたことへの対策として、また鎌倉市中の治安維持を目的としたものだったと考えられ、いわゆる「武装解除」させる意図で行われたものではなかったようです。
その後、鎌倉幕府も滅亡し室町時代中期の応仁元年(1467年)に応仁の乱が勃発、日本中に戦乱が広まると農民たちも戦のたびに駆り出されるようになります。
農民たちも日本刀や槍を所持し、自分たちの身は自分自身で守らないと生き残れない殺伐とした世の中となっていったのです。
能力はあるが身分が低かった者にとっては、主人に取って変わる「下剋上」が可能な、ある意味では魅力的な世の中だったのかもしれませんが、一般庶民にとってはいつ命を落としてもおかしくない時代でした。
最も有名な豊臣秀吉の政策そんな戦国の世も、織田信長や豊臣秀吉の登場により少しずつ天下統一へと向かっていきます。
そして、秀吉による天下統一が目前となった天正16年(1588年)に発布されたのが、有名な「刀狩令」です。
秀吉の刀狩令は、地方領主に向けた「刀狩令の内容と実施する理由」と庶民に向けた「実施内容」、「発令した理由の説明」3つの条例からなっていました。