戦国時代最強の鉄砲傭兵集団「雑賀衆」伝説の武勇と悲劇の結末 (2/3ページ)

Japaaan

そしてこれを元に、根来衆の鍛冶屋が鉄砲の試作を完成させ、雑賀衆の職人たちの手によって量産に成功するのです。

こうして、雑賀衆は鉄砲を使った傭兵集団として評判になり、全国各地の戦いで招集されることになります。

内部分裂と「最強傭兵集団」の終焉

1570年ごろ、織田信長と一向宗の総本山である本願寺との戦いが始まります。雑賀衆の中にはこの一向宗の門徒が多く存在しており、彼らはすぐに本願寺の救援に向かうと、信長を苦戦させる活躍をみせたといいます。

しかしこれによって雑賀衆は信長に目をつけられてしまい、まもなくその制圧のために6万もの大軍が押し寄せてくるのです。

この時、隣の根来衆や、雑賀衆の中でも、一向宗の門徒が少ないグループは信長側に付いてしまいます。

はた目には、このような事態になってはもう終わりか、と思う所ですが、なんと彼らはその後1ヶ月もの間応戦し、最後は停戦にまで持っていきました。

こうした雑賀衆の活躍があったものの、残念ながら本願寺は信長に降伏することになります。そしてこれをきっかけに、雑賀衆の内部には大きな亀裂が入ってしまい、内紛が多発したり、近隣の勢力とのいざこざが増えたりしました。

それでもなお、この時点でも雑賀衆は強力な傭兵集団として成立していました。

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