戦国時代最強の鉄砲傭兵集団「雑賀衆」伝説の武勇と悲劇の結末 (3/3ページ)
決定的な事件が起こったのは、本能寺の変で信長がこの世を去ってからでした。その後、雑賀衆と根来衆は徳川家康の要請を受けて、豊臣秀吉の居城である大阪城へと攻め上がります。
特に大きな争いにはなりませんでしたが、これによって秀吉の怒りを買い、秀吉は10万もの軍勢で紀州を征伐にかかります。
信長が攻め入ってきた時と違い、雑賀衆はこれまでの内紛によってボロボロの状態でした。寝返りをする者も多く現れ、紀州の各地方は一瞬で攻め落とされてしまいます。
そして残党たちは、太田城で秀吉の「日本三大水攻め」の一つに数えられる大規模な水攻めにあい、ついに雑賀衆は滅亡してしまうのです。
素晴らしい武勲を挙げた集団でありながら、戦国の世に翻弄され、悲劇の結末を迎えたのです。
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