神社に放火!法皇を幽閉!やりたい放題した平清盛は呪われて死亡した?

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神社に放火!法皇を幽閉!やりたい放題した平清盛は呪われて死亡した?

悪行を積み重ねた結果、呪い殺されたともいわれている平清盛(たいらのきよもり)。今回は、清盛が呪われていると噂されることになった原因にスポットを当て、紹介したいと思います。

平清盛とは

平清盛(月岡芳年 画)

平清盛とは、歴史上初めて朝廷の最高責任者である「太政大臣」に任命され、日本初の武家政権を確立させた人物です。武将であり政治家でもあった清盛は、「公家から武家へ」政権の移り変わりにも尽力しています。

平清盛が行った悪事

法皇の幽閉
清盛は「鹿ケ谷の陰謀」で自身の失脚を図ったあと、白河法皇を幽閉したというのが通説です。ただ、諸説あるため真実は定かではありませんが、清盛と後白河法皇の仲は悪かったと言われています。

殺さなかったのは、朝廷全体を敵に回したくないと言った思惑があったからではないでしょうか。

南都焼き討ち
南都焼き討ちは、清盛率いる平氏軍が「東大寺・興福寺」など、奈良の仏教寺院を焼討にした事件のことです。

当時の寺社は大きな政治的権力を保持していたため、平氏政権に反抗的な態度をとる寺社を見せしめとして、いくつか燃やしてまわりました。

平清盛の死因

清盛の死因については諸説あり、詳しいことは分かっていません。

ただ、都の新体制づくりを目論んでいるときに突然高熱を出して倒れ、わずか5日後に死亡。亡くなる前に高熱を出したときには、体から黒煙が出ていたことや熱さのあまり水風呂に浸かったところ一瞬で水が湯になったなどとされています。

現代において清盛の死因には、「マラリアと呼ばれるウイルスが関係しているのでは?」ともいわれています。マラリアは感染から2~3日の間に40度近くの高熱が出る病気で死亡率が高く、清盛の病状と似ていたのだとか。

しかし、マラリアは蚊を媒介して伝染する病気のため、清盛が亡くなった冬の時期に感染することは珍しいという否定的な意見もあります。

清盛肖像

平清盛の死因は呪いだった説も

庶民の間で「呪いではないか」と噂された清盛の死因は、現代でも謎に包まれたままです。

亡くなる前の様子が不気味だったことはもちろん、清盛が生前におこなった数々の悪事が噂の原因となっていることは言うまでもありません。

死に際に苦しみ、死んだあとも後世に「呪い殺された」と語り継がれぬよう、生前には徳を積んでおきたいものですね。

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