浄土三部経の一つである「観無量寿経」が示す生死を超える道 (2/4ページ)

心に残る家族葬

仙人は王子に生まれ変わって王を殺すと言い残して死んだ。この予言を恐れた王は生まれたばかりのわが子を殺そうとし、韋提希もこれに同調したという。

史実であるかは別として実に身勝手な話である。自業自得もいいところだが、韋提希はそんなことは棚に上げて、わが子を悪子と呼び、釈迦に対しても、息子を扇動した提婆達多の親族であることを責めるような言い方をする。さらに韋提希はこの世に絶望し生きていたくないと嘆き、釈迦にこの世を超える世界の提示を求めた。

釈迦はそんな韋提希に無数の仏の世界・仏国土の光景を見せる。それぞれが特徴的な仏国土の中で、韋提希は極楽浄土への往生を願うようになった。そして、自分は極楽浄土を見ることができたが、釈迦滅後に未来の人たちはどのようにして極楽を見ればよいのかと尋ねた。嘆くだけだった韋提希は生死を超越する世界を知り、さらに他人を思いやる気持ちが生まれたのである。その方法がこの後に説かれる観相であり、釈迦がすべてを語り終えると、韋提希は悟りを得て生死を超越する境地に至った。

仏教学者・田代俊孝は、この韋提希の心情の変化は、キューブラー・ロス(1926〜2004)が提唱した死の受容のプロセス「否認」「怒り」「取引」「抑鬱」「受容」に通じるものがあると指摘する。最初の嘆きは「否認」に相当し、阿闍世や釈迦を責める「怒り」が見出される。極楽浄土の提示と往生という「取引」すら見られるし、そもそもが「抑鬱」状態である。そして極楽浄土への往生を確信した韋提希の悟りは死の「受容」に匹敵すると考えられる。

■下品下生の者

「観経」では人間には位があり、往生の仕方にも格差が生じると説く。上品、中品、下品にそれぞれ上生、中生、下生があり、9つの位に分けられる。最上級が「上品上生」、最下級が「下品下生」である。現代語の上品下品の語源ともされるが、ここでは「品」は「ひん」ではなく「ぼん」と読む。

釈迦が説く観相のイメージはかなり細微に渡る光景が要求されており、最下級である「下品下生」の者にはまず不可能で、そのような者には観相以外の別の往生方法が用意されている。それが「南無阿弥陀仏」と念仏を称えるだけの称名念仏である。

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