わずか6歳にして天才!江戸初期の政治家・松平信綱!その活躍ぶりと実績をたどる【前編】 (3/3ページ)

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徳川秀忠(Wikipediaより)

信綱は慶長16年(1611年)に元服し、正永と名乗ります。しかし25歳になった元和6年(1620年)に、養父の正綱に実子の利綱が生まれたところで、名前を正永から「信綱」へと改めました。

改名の理由は、「正」という文字は実子が継ぐべきだと考えたからです。ここに「松平信綱」が誕生しました。彼のこの名前も、忠心から物事に筋を通す性格ゆえのものだったのです。

元和9年(1623年)、信綱は28歳で御小姓組の番頭に任ぜられます。また、家光の将軍宣下の上洛に従い、この時に「従五位下伊豆守」に任官されました。

この官位が、彼のあだ名である「知恵伊豆」の由来となります。

寛永5年(1628年)には所領が1万石となり、33歳で大名となりました。

【後編】では、天才政治家・「知恵伊豆」のその本格的な活躍ぶりを見ていきましょう。

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