ウクライナ侵攻は他人事ではない!?日露戦争はなぜ起きたのか【前編】
Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。現在ウクライナ侵攻を進めるロシアとウクライナの戦争に関する痛ましいニュースが日々伝えられていますが、日露戦争を経験した事のある日本にとって、ウクライナの痛ましい映像は決して他人事ではありません。
今回はそもそも日露戦争はなぜ起こってしまったのか、未来の戦争を未然に防ぐためにも、その経緯を振り返りたいと思います。
日露戦争 – Wikipedia朝鮮半島を進軍中の日本軍歩兵
日本とロシアの不和はどこから?当時の日本とロシアの不和の元凶は日清戦争後1895年の三国干渉に遡ります。
これは日本が日清戦争で得た遼東半島を、ロシア中心とした3国の返還要求により清に返すという出来事でした。そもそも日本が遼東半島を欲した理由はその下の朝鮮半島での権利を守りたかったから。
ではなぜ朝鮮半島を押さえたかったのか。その理由の1つが、ロシアによる日本侵攻のバリアにしたかったからなのです。
ロシアはとにかく不凍港がほしい
なぜロシアは骨を折って清の国土を日本から守ったのか?
答えはその後のロシアの動きで分かります。三国交渉の見返りとしてロシアは清の土地に自国の鉄道を作り始めたのです。守るふりして自分もその土地が欲しかったの?
まさにそうなのです。ロシアの場合は冬にはほとんどの港が凍ってしまい交易ができなくなります。彼らの悲願は「不凍港を得る事」です。清から海に出て海上貿易で利益をあげる。
真の正義感だけで他国のために動く国など歴史上ほぼ存在しないのです。
日本も侵攻の危機にあった日本とロシアの不和が決定的になったのは清国内の動乱、義和団事件後、1901年からロシアが清の満洲を不法占領した時でした。満州から南下すれば不凍港の宝庫、大韓帝国(当時の韓国)が手に入ります。そして最後は日本が餌食に……。
それは考えすぎという意見もあります。しかし、当時ロシアが作ったシベリア鉄道の東側の終点駅「ウラジオストク」という名称の意味は「極東を制圧せよ」。この名前に当時ロシアが極東=日本をどう思っていたかが表れているのではないでしょうか。
当時の日本政府はこのままではロシアに国が滅ぼされる!
と震えあがりました。
次回【後編】に続きます。
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