まさかあの大人気武将も!?なんと江戸市民の50%が罹った性病「梅毒」が怖すぎる
Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。今回は昔からある性病で、今再び流行しはじめている梅毒について日本史視点から解説します。
こちらの記事もオススメ!
梅毒は日本では1512年に初めて文献記録上に登場しました。
航海航路がようやく開拓されたような時代にもかかわらず、コロンブスによるヨーロッパへの伝播から、わずか20年でほぼ地球を一周したことになります。
どれだけ感染力が強いかよく分かります。
恐ろしい症状感染後3週間 – 3か月は第1期で、陰部、口唇部、口腔内に膿を出す塊を生じます。
感染後3か月 – 3年は第2期で、全身のリンパ節が腫れる他に、発熱、倦怠感、関節痛、さらに薔薇のような赤い発疹が全身に現れます。
感染後3 – 10年経つと第3期になり、皮膚や筋肉、骨などにゴムのような腫瘍(ゴム腫)が発生します。
感染後10年以上経つと第4期で、多くの臓器に腫瘍が発生したり、脳、脊髄、神経を侵されて麻痺性痴呆、脊髄瘻を起こし死に至ります。
現在は3、4期は稀ですが、日本の江戸時代の遺跡からは梅毒の第3期以降であろう人骨が多く出土しています。
あの人気武将も戦国時代から江戸時代初期の著名人では、加藤清正、結城秀康、前田利長、浅野幸長などが梅毒で死亡したとされます。
この病が性感染症であることは古くから経験的に知られ、徳川家康は遊女に接することを避けていました。
ちなみに江戸の庶民の骨を調べると全体の50%が梅毒だったと推測されています。
再拡大の今、梅毒を防ぐには日本では江戸時代末期、長崎の稲佐の地に丸山町と寄合町の遊女が出張して、ロシア人の船員達の相手を務めることになった万延元年(1860年)、日本初の梅毒検査が長崎で実施されました。
ペニシリンなどの抗生物質が発見された現在では早期に治療すれば全快する病となりました。
現代においてもこうした感染症予防には定期的な検査と避妊具の着用などを徹底する事が大きな効果をもたらします。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan