たい焼きは最初は「亀の子焼き」だった?その発祥とバリエーションの豊富さにびっくり!
原型は「今川焼」
皆さんは、もちろん「たい焼き」はご存じですね。
しかしこの「たい焼き」、いつ、どこでどうして作られるようになったのかは意外に知られていません。その歴史をたどってみましょう。
実は、たい焼きはもともと今川焼から派生したものだとされています。形は異なっていますが、言われてみると使っている材料は同じですね。では、今川焼がなぜ「鯛」の形をしたお菓子に変わっていったのでしょう。
そもそも今川焼の発祥も諸説あるのですが、さしあたり、発祥は東京だと言われています。
そしてそれを「たい焼き」に発展させたのは、明治時代の「浪花家総本店」の初代・神戸清次郎という人でした。
清次郎は当初、今川焼を売っていました。しかし、麻布近辺のお店では全く売れなかったため、亀の子を模して「亀の子焼き」というネーミングで販売してみるもののやっぱり売れず、試行錯誤を重ねて今の「たい焼き」の形に落ち着いたのです。
鯛の形の「たい焼き」は、今まで売れなかったのが嘘だったかのように、飛ぶように売れたといいます。
やはり「鯛」に目を付けたのがよかったのでしょう。「めでたい」縁起物の魚である鯛は、今でこそ手軽に購入できる身近な魚ですが明治時代は高級品で、庶民はなかなか口にすることができない代物だったのです。
そこで、鯛の形を模した「たい焼き」なら縁起物を手軽に食べられるということで、一躍人気のおやつになったのです。
千変万化のバリエーションこうして好評を博し、冬場のおやつの定番となって全国に広まった「たい焼き」ですが、その内容も時代とともに変化していきます。
まず、焼き方に「天然もの」と「養殖もの」という2種類の違いが生まれました。「天然もの」は明治時代から続いている焼き方で、一度に1~2個しか作らない一丁物です。
この「天然もの」は職人さんが一つひとつ丁寧に焼くため時間がかかります。また職人さんへの負担も大きいため、量産には向いていません。しかし餡子はぎっしり詰まっており、皮はパリパリとした食べ応えのあるたい焼きができあがります。
一方の「養殖もの」は、量産型の焼き型を使うもので、6~10個以上一気に作ることができます。
これは効率的に作るため天然ものと違って皮が分厚く、ふんわりとした食感になります。どちらもそれぞれ良さがありますね。
また、味や食感も時代とともに変化しました。たい焼きは、中に詰まった餡子とパリッとした皮が特徴ですが、だんだんバリエーションが増えてきて、皮の食感や中に入る種も多種多様に変化したのです。
例えば今では、カスタードやチョコレートなどの若者に好まれる味や、抹茶やサツマイモ餡など季節感のあるものも存在します。
また、皮にタピオカ粉を入れてもちもち食感にしたり、クロワッサンのようなパリパリ食感にするなどの工夫が凝らされたものもあり、そのラインナップは実にバラエティに富んでいます。
こうした千変万化と言ってもいい展開ぶりは、今川焼とも似ています。これくらいバリエーションがあると、今川焼の定義って何だろう? たい焼きの定義って何だろう? と不思議になりますね。
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