【真説 鎌倉殿の13人】源義経が一ノ谷の戦いで行った奇襲・逆落としの真相は三種の神器の奪回にあった【前編】 (3/7ページ)
(写真:T.TAKANO)
頼朝は京都にいた源範頼を総大将に別動隊の大将に源義経を任じ、平氏追討のため京都を出陣させました。平氏は、摂津国と播磨国の境にある一ノ谷に陣営を構え、源氏の軍勢を迎え撃とうと待ち受けます。
源平両軍の兵数は『平家物語』『吾妻鏡』によると、源氏約70,000騎、平氏約80,000~100,000騎とされ、『鎌倉殿の13人』をはじめ多くはこの説に従っているようです。しかし、時の右大臣九条兼実の日記『玉葉』の1183(寿永3)年2月4日条には、源氏・2,000騎、平氏20,000騎と記されています。
『玉葉』は当時の情報を生々しく伝えているので、そこには信憑性を感じられます。しかしながら、そうなると源氏は10倍近くの平氏軍と戦うことになり、さらに圧倒的な兵数を有する平氏が一ノ谷に籠城するという矛盾が生じてくるのです。
源氏・平氏の本当の兵力を考える
平氏が陣を構えた一ノ谷は、おおよそ東が生田、中央が福原、西が塩屋の範囲で、その長さは約10キロにおよびます。前面に瀬戸内海、背後には絶壁の崖が迫る地形。しかも東側は開けているものの、西側は細い道が一本通るだけという要害と呼ぶにふさわしい場所でした。