お尻にシッポ?2つの顔に4本足!?古事記に登場する謎に包まれた異形の神々たち

謎と想像力を掻き立てられる『古事記』と『日本書紀』。日本の神話であり、天皇につながる英雄たちの物語の側面が強い一方、一体どういう者たちだったのか謎に包まれた異形の神(人)たちも登場します。
その一部をご紹介しましょう。
井氷鹿/井光(イヒカ)日本の初代天皇、神武天皇が都に相応しい場所を求めてヤタガラスに導かれて東へ旅している時に、大和国の吉野で出会った土着の神で、なんとその姿には「尾」があったといいます。え…UMA?
詳しい遭遇場面としては、天皇が吉野に着いた時、井の中から尾のある人が現れたので素性を尋ねると「私は国津神のイヒカと申します」と答えたとされています。
「古事記」より
尾のある人、井より出て来たりき。その井に光ありき。
ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、
「あは国つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂ふ」と答へ曰しき。
こは吉野首(よしののおびと)等の祖なり。「日本書紀」より
人有りて、井の中より出でたり。光りて尾有り。
天皇問ひて曰く「汝は何人ぞ」。応えて曰く
「臣は是れ国神なり。名を井光(いひか)と為す」。
此れ即ち吉野首部(よしののおびと)が始祖なり。
井は井戸を連想しますが、泉の意味も持ちます。日本書紀では体は光っていて吉野首(ヨシノノオビト)という吉野周辺の始祖だとも答えています。
ここでの「井」や「尾」は一体何なのか?
吉野が鉱石や水銀が採れる場所であったことから、「光る水」は水銀のことを指すという説や、尾は「獣皮の尻当てをしている鉱夫や木こりの姿」という説も。筆者は何か酸素を供給するためボンベにつながれた潜水服を想像してしまいました(笑)。
イヒカは奈良県にある井光神社や長尾神社で祀られ、水神または井戸の神として信仰されています。水光姫命(みひかひめのみこと)という祭神名で祀られていることもあり、この場合は白蛇の化身とされ、蛇の頭にあたるのが同じ奈良の「大神(おおみわ)神社」、そして尾が「長尾神社」だとみなされています。
すると、このイヒカは豊かで長い吉野川そのものを擬人化した存在で、川の事なのかもしれません。そしてその光り輝く美しい場所に住む先住民という意味なのかもしれませんね。
両面宿儺(リョウメンスクナ)仁徳天皇の時代、『日本書紀』に登場する飛騨の国の者で、「1つの胴体に2つの顔、胴体それぞれに手足を持っており、頭頂部が合わさっていてウナジが無く、ヒザはあるが、ヒカガミ(ヒザ裏のくぼみ)とカカトが無かった」という特徴をもっています。
これらの特徴から、スクナはシャム双生児だったのではと想像されています。非常な怪力で一度に40、50人を相手にしても負けず、4本の足で走るととてつもなく速かったといいます。
岩窟に住み、夜になると人里に降りてきて家に押し入り金品強奪を働きましたため、人々は恐れおののき、武振熊命(たけふるくまのみこと)によって討伐されたと記されています。天子様に忠義を誓えば命を助けてやるといわれるも、生まれた土地で殺される方が本望といって、首を切られたとか。
しかし岐阜県の民間伝承では「悪鬼や竜を退治して民衆を救った」、「農業を指導した」などの善行も伝えられ英雄視されている面も。飛騨高山では千光寺を開山したとされており、「両面宿儺像」が祀られています。
蛭子(ヒルコ)日本の古代神話『日本書紀』『古事記』に登場するイザナギノミコトとイザナミノミコトが国生みの神とされているのはご存じの通り。
二人は交わって35柱もの神様を産み落としましたが、最初に生まれた「蛭児(蛭子)」は何年たっても手足が萎えたままだったため、葦舟に乗せて流されてしまいました。
その後蛭子はどうなったかというと、恵比寿神と同格化されて七福神の一人となった説もあります。これは室町時代に登場した説だといいます。
応神天皇蛭子は三年迄足立たぬ尊とておわしければ、天石勝樟船に乗せ奉り、大海が原に推し出して流され給ひしが、摂津の国に 流れ寄りて、海を領する神となりて、夷三郎殿と顕れ給ふて、 西の宮におはします。(『源平盛衰記』剣巻)
ヤマトタケルの子・仲哀天皇とその妃・神功皇后の息子で第15代目天皇です。神功皇后のお腹の中に15ヶ月いたとか、なかなかに謎多き天皇とされています。

応神天皇は二の腕が異常に盛り上がっており、「ホムタ(矢を入れる道具)」のような塊だと言われ、弓の名人として神格化されました。また、非常な怪力だったともいわれています。
そのホムタから別名「誉田天皇(ほむたのすめらみこと)」といい、日本書紀ではその名で記述されています。中世以降は軍神として扱われ「八幡神」として信奉、全国に八幡信仰が広がりました。
神功皇后が新羅討伐に出向いた歴史は信ぴょう性が疑問視されていますが、その息子の応神天皇が新羅や百済から渡来人を多く日本に呼び寄せて、国力を発展させたことは間違いないようです。
古代史は何を意味しているのか判明していない表記も多く、想像力を掻き立てられます。決して正解が発見されることはないゆえに、これからも色々な説が生まれることでしょう。皆さんも改めて古事記に注目してみてはいかがでしょうか。
参考:『飛騨の伝説と民謡』(高山西小学校研究部)、『病が語る日本史』(酒井シヅ)、『古事記と日本書紀』(武光誠)
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