般若心経「呪文」の功徳 (2/4ページ)
恐れるものは何も無いのだと般若心経を科学的に言い換えた死生観が話題を呼んだ。
■経典の呪術性
柳澤のような科学的解釈はいかにも現代的であり感動を覚える。現代人の支持を集めるのも納得である。だがそのような知識や教養が無かった時代から般若心経は庶民に愛されてきた。経典の最後を悟りを得るための呪文・真言(マントラ)で締めくくる般若心経は仏教経典としては確かに異質であるが、末木の言うように庶民が心経にすがったものはその呪術性だったことは間違いない。
私たちが知る漢訳版の般若心経は玄奘三蔵(602〜664)によるものだが、その玄奘も辛苦極まるインドへ旅の途中で、サンスクリット原典の般若心経を唱えて危機を逃れたと伝わっている。「観音経」、「延命十句観音経」など経典を読誦することの功徳は多く語られてきた。経典は単なる哲学書でなく霊験のある呪物でもあったのだ。弘法大師空海は般若心経を密教的に解釈し心経を、読誦すればあらゆる苦しみから逃れ、学び考えれば悟りを得、生きる力を得ると語っている。
心経は「これから般若波羅蜜多心経の『呪』(咒)を説く」と宣言した後にかの有名な呪文で終わる。
羯帝 羯帝 波羅羯帝(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい)
波羅僧羯帝 菩提僧莎訶(はらそうぎゃてい ぼじそわか)
この呪文は「行くものよ 行くものよ 彼岸に行くものよ さとりよ 幸いあれ」と訳すこともできるが、本来は翻訳はしないものとされ、玄奘も訳していない。この呪文は「空」の悟りを得る力をそのまま表現したものと思われる。空海も「真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く」と真言(呪文)の神秘を説いている。意味は問わず「呪」の響きを味わい、その功徳を得るものなのである。
■それは仏教なのか
しかしこの呪文なるものは仏教といえるのか。釈迦が禁じた魔術そのものではないのか。般若心経の最後を飾る「呪文」は、特に大乗仏教に批判的な人には最も許されないものらしい。テーラワーダ仏教の指導者アルボムッレ・スマナサーラ長老は、自ら初期仏教の「原理主義」と名乗る立場から、心経の呪文を仏教にあるまじき神秘主義だと痛烈に批判している。