ぼぼ、珍宝、魔羅(まら)…移ろいゆく女性器、男性器の呼び名を江戸文化から辿る

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ぼぼ、珍宝、魔羅(まら)…移ろいゆく女性器、男性器の呼び名を江戸文化から辿る

「そんなはしたない言葉、わっちの口からはいえないでありんす…」

と花魁が言っていたかはわかりませんが、江戸時代の春画を眺めていて、ふと気になったのが性器の呼称。

女性器は「ぼぼ」と書かれていて男性器は「まら」。現在の一般的な呼び名とは違いますよね。

一体いつからなのでしょうか。その変遷を探ってみました。

喜多川歌磨「寫上手本絵の姿見 玄宗貴妃比翼笛之図」

「ま●こ」諸説ありすぎ!

まずは女性器の説から確認していきましょう。

「女の子(めのこ)」が変化した。 女性が生涯する性行為は1万回なので、1万回の幸せをもたらすから「万」と「幸せ」で「まんこう」と呼ぶようになった説(『大言海』より)。 中国の医学書で「陰門処(うむんこ)」と称していたからという説。※「陰門」は隠された入り口(広辞苑では外陰部)、「処」は場所という意味。 「御饅頭子」 とする説。幼児や少女の陰部は蒸したてのお饅頭のようにふっくらとしている様から。これが変化して御饅頭子(おまんずこ)となり、現代にいたるという説。 鎌倉時代の北条政子から来たとする説。ある戦で、政子が兵たちに直々に喝を入れたところ、大勝。その時に「お政様(おまんさま)」と喝采を送ったからそれが転じて「おまん」と女性の象徴となったという。

うーん、どれも一理ありそうですが政子説はこじつけな気がしますね。鎌倉から時代が下がった江戸時代で「ぼぼ」が主流だったことを考えますと、時代が逆行してしまいます。単純に女の子(めのこ)の転化ではないかと、筆者も思います。

古事記では火所

ちなみに古事記では、イザナミノミコトが火の神・火之迦具土神(ヒノカグツチ)を生んだのちに亡くなりました。そのことから女陰は「火所(ほと)」と形容されました。

男性器の呼称は?

では男性器はどうでしょうか。

古事記ではイザナギノミコトは自分のものを「成り成りて成り余れる処」と表現。古代ではまだ漢字がなかった時代は「ほこ(矛)」と発音していたともいう。 江戸時代の平賀源内の『痿陰隠逸伝(なえまらいんいつでん)』(明和五年(1768)の作)にはいろんな名称が登場。「屁子(へのこ)、珍宝、魔羅、てれつく、陰茎」などなど。

※ちなみには魔羅は仏教の梵語のことで、「修行を妨げ人の心を惑わすもの」という意味。そこから転じて僧侶が隠語として使うようになったとか(広辞苑より)。持っている男性自身にとっても「困ったやつ」なんでしょう。

陰茎(へのこ)の登場はまあまあ古い へのこはもともと古事記に由来する「余ったところ」という意味で、江戸時代の随筆家、太田蜀山人は1809年の『金曽木』で男性器を「へのこ」と呼んでいます。 「陰茎」という言葉は室町時代の『下学集』という辞書が史料としてあるとのこと。この辞書、なぜか1444年に成立したものの、刊行されたのは1617年だとか。

いんきょう、男の前陰なり

1765年の『軽口東方朔』にも「我は陰茎の大なること馬よりもすさまじく」というセリフがあります。

あれ、「ちんこ」が出てきませんね! ちんぽに近いのは「珍宝」でしょうか。この珍宝が縮まってちんぽとなったと考えるのが自然だと思われます。

では「ちんこ」は一体どこから?

辞書では

ちんちん=陰茎をいう幼児語。ちんぼ。(大辞泉)
ちんこ=男性性器をいう幼児語。ちんぼ。ちんぼこ。(大辞泉)

で、この「ちん」ですが、小さいという意味の「ちっこ」が変化したものだそうです。確かに、小さいことを「ちんこい」という方言もありますね。子供が行う芝居を「ちんこ芝居」ともいうようです。

結論的に「ちんこ」は、こどもの性器を指していたようです。それに対して、大人のものは「魔羅」なんですね。

ということは、江戸時代では大人のものは魔羅や陰茎と呼んでいたものの、いつのまにか子供のアソコを指すちんこが、現代では年代問わず指し示すようになった、ということでしょう。

今回は辞書や巷間で流布している説をまとめてみました。言葉は生き物だということがよくわかりますね。

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