捕虜から徳川家康の侍女に、そしてキリスト棄教を拒み流罪となった女性「ジュリアおたあ」の数奇な人生 (2/3ページ)
この時に洗礼名の「ジュリア」を授かりました。
徳川家康の侍女になるそんなジュリアおたあに、人生を一変するある出来事が訪れます。それは慶長5年(1600年)に起きた関ヶ原の戦いです。関ヶ原の戦いで父の行長は斬首。残されたジュリアおたあは、以前からジュリアおたあの器量を知っていた徳川家康に召し抱えられました。
ジュリアおたあは、駿府城の大奥にて侍女として家康に仕える傍らで、祈りや聖書を読むことを欠かさず行いました。また、夜の空いた時間で他の侍女たちをキリスト教に勧誘したとされています。
キリスト教のため、流罪となるキリスト教に従事していたジュリアおたあに家康は、慶長17年(1612年)に発布された禁教令を背景に棄教を要求します。もちろん、ジュリアおたあは拒否。
このことと家康の側室になることを拒んだことが重なり、ジュリアおたあは伊豆諸島の伊豆大島に流罪となります。
家康は伊豆大島にジュリアおたあに棄教を迫る使者を送りますが、それでも拒否しました。そのため伊豆大島から新島に移り、最後は神津島(こうづしま)に移されました。