捕虜から徳川家康の侍女に、そしてキリスト棄教を拒み流罪となった女性「ジュリアおたあ」の数奇な人生 (3/3ページ)
新島や神津島への移動も、ジュリアおたあが棄教を拒否したことが原因となっています。
ジュリアおたあのその後ジュリアおたあは、フランシスコ・パチェコ神父が記した元和8年(1622年)の書簡にて、神父の援助で神津島から大坂へ移動。その後、長崎へ移ったとの記録が残っています。
長崎以後の記録が残っていないため、ジュリアおたあの最後は残念ながらわかりません。
また、神津島にある供養塔がジュリアおたあのお墓という説も出ています。そのため、神津島では毎年5月に、ジュリアおたあをしのぶ祭りであるジュリア祭が開催されています。
最後に小西家の薬学に精通したり、徳川家康に侍女として召し抱えられたりと濃い人生を歩んだジュリアおたあ。ここまで偉人たちから重宝された背景から、彼女が才気あふれる人物だったことが容易に想像できます。
李氏朝鮮の貴族の娘という説が出てもおかしくはないですね。
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