都育ちはダテじゃない!『新古今和歌集』に載った源頼朝の和歌を紹介【鎌倉殿の13人】

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都育ちはダテじゃない!『新古今和歌集』に載った源頼朝の和歌を紹介【鎌倉殿の13人】

鎌倉殿として坂東武者たちをまとめ上げた源頼朝。源氏の棟梁として文武両道を兼ね備えていたことはもちろん、和歌にも造詣がありました。

平治の乱に敗れ、伊豆へ流される14歳まで京都で育っている頼朝。幼少期に培った典雅の素養は、20年にわたる坂東暮らしでも失われなかったようです。

常在戦場と合わせて、いかなる場所でも風雅の心を忘れなかった頼朝公(イメージ)

その才能は勅撰歌集『新古今和歌集』に2首の和歌が採用されているほど。と聞いて「たったの2首か」と思うかも知れませんが、勅撰歌集への掲載を現代の感覚に喩えるなら、皇居の歌会始で自分の歌が披露されるようなもの。たとえ1首であっても、生涯の思い出となるでしょう。

いずれにせよ、和歌を嗜む者にとっては大変な名誉。そこで今回は頼朝が詠んだ2首を紹介。いったいどんな歌なのでしょうか。

富士山には、青空と噴煙がよく似合う?

やっぱり富士山には青空が似合う(イメージ)

道すがら 富士の煙も 分かざりき
晴るる間もなき 空の景色に

※『新古今和歌集』巻第十 羇旅歌(975)

【意訳】道すがら、富士山の噴煙も分からないほど曇っていた。

……これは頼朝が上洛の途上(1度目か2度目か、行きか帰りかは不明)、富士山を眺めながら詠んだものとか。

せっかくの上洛、せっかくの絶景なのに青空に映える富士山が見られなくて残念……そんな頼朝の様子がシンプルに描かれています。

現代と異なり、当時の富士山は噴煙を上げているのが日常だったとか。富士山には冠雪と青空、そして噴煙がよく似合う……でしょうか。

見てみたい気もしますが、富士山噴火のリスクが高まっている昨今、ちょっと気が気じゃないですね。

腹を割って話してくれよ…頼朝から慈円へのメッセージ

みちのくの いはでしのぶは えぞ知らぬ
書き尽くしてよ 壺の石ぶみ

※『新古今和歌集』巻第十八 雑歌下(1786)

【意訳】言いたいことはハッキリ言って頂かないとわかりません。壺の石ぶみのように、思うがまま書き尽くしてください。

慈円。『國文学名家肖像集』より

これは建久元年(1190年)に上洛した際、慈円(じえん。九条兼実の弟)とのやりとりで詠まれたものです。

思ふこと いな陸奥の えぞいはぬ
壺のいしぶみ 書き尽くさねば

※慈円『拾玉集』より

【意訳】思っていることを伝えたいが、壺のいしぶみのように書き尽くすことがどうしても出来ない。

壺の石ぶみ(つぼのいしぶみ)とは、かつて坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)が奥州の蝦夷討伐に際して、「日本中央」と刻んだ岩のこと。

「ここが日本の中心だ!」

日本の中心といえば、天皇陛下のおわす都を措いてなかろうに……解釈次第(※)では謀叛の意志ともとられかねない大言壮語。

(※)日本中央の解釈には諸説ありますが、田村麻呂は「国土的にはここが中央なのだから、向こう側も日本=天皇陛下に服すべき土地である」と無邪気に示したかったのではないでしょうか。

さすがにそこまで好き放題は手紙に書けないと言う慈円に対して、頼朝は「どうぞご遠慮なくお書き下さい=腹を割って語り合いましょう」と返しています。

仲良しだった?頼朝と慈円の軽妙なやりとり

こちらは少し掛詞の技巧が多いため、両者の歌のフレーズを少し分解してみましょう。

蝦夷討伐に活躍した坂上田村麻呂。月岡芳年筆

「いな陸奥の」は「否(いな)み」と「陸奥(みちのく)」が合わされ、陸奥と言えば住んでいるのは蝦夷(えぞ、えみし)の人々。

「えぞ」と平仮名にすることで「得ぞ~(~し得ぬ)」の意味がかかりました。

対する頼朝の返歌。陸奥の地名である岩出(いわで。岩手)と信夫(しのぶ。福島)を合わせて「言わで、忍ぶ(言わずに黙っている)」の意味をかけます。

そこへ「えぞ知らぬ」を加えて「言わないで黙っていては、私も知り得ようがありません」というメッセージに。

下の句はそのままですが、慈円の「壺のいしぶみ 書き尽くさねば」に対して、フレーズを逆転させた「書き尽くしてよ 壺の石ぶみ」と返してリズムをとっています。

この軽妙なやりとりから察するに、頼朝と慈円はかなり気が合ったのではないでしょうか。

(歌には言葉のセンスや好みなどが出るため、そのやりとりに互いの相性が分かることも多いもの。往時の貴族たちがよく和歌を詠んだのは、相手を見極める社交のテクニックだったのかも知れませんね)

終わりに

よく文章なら何とでも書ける、心にもないキレイゴトも言える……という方がいます。

しかし、いざ書こうとすると自分の意思に反することを書くのはとても負担が大きく、創作でもなければやはり自分の本心が現れてしまうものです。

権謀術数に明け暮れた頼朝の(意外な?)人間味ある一面が、その和歌に垣間見える(かも)。

「せっかく富士山を見るなら、晴れていた方がよかったのに……」

「遠慮しないで、腹を割って話して下さいね!」

どちらも頼朝の偽らざる本心であり、それがゆえに人々の心を打って『新古今和歌集』の勅撰に与かったのではないでしょうか。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では恐らく割愛されてしまうのでしょうが、こうした和歌も場面々々に添えていただけると、ファンとしては嬉しく思います。

※参考文献:

菊池威雄『鎌倉武士の和歌 雅のシルエットと鮮烈な魂』新典社、2021年10月

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