品川区の善福寺に残る鏝絵で有名な伊豆の長八の非・老害エピソード
「老害」という、「負のイメージ」を有する言葉が生み出され、そして定着してから、どのくらいの時が経過したのだろうか。現在86歳の帯津良一医師は言う。最近、高齢者が引き起こす交通事故がニュースになっている。アクセルとブレーキを踏み間違えてしまうことが老化によるものだとしたら、確かにそれは「老害」だ。しかし、それ以外に、老人が害になることはあるのだろうか。老化によって本来、魂は成熟する。それゆえ、その成熟した魂が他人の害になるはずがないと、「老害」という言葉に対し、強い懸念を示していた。
■老害の具体例
「老害」こと「老人の害」の一例は、帯津医師が取り上げた、交通事故の問題ばかりではない。必ずしも国連の世界保健機関(WHO)が「高齢者」として定める、65歳以上の人物にのみ該当すること、そしてコロナ禍による陰鬱な雰囲気が漂う昨今に始まったことではない。いつの頃からか、電車が遅延した!駅員の態度が悪い!店員が生意気だ!などと、「些細なこと」にすぐ過剰反応し、周囲を構うことなく激しく怒鳴り散らす「高齢者」と思しき人々が巷で多く見られるようになってきた。そこへきて、「老害」という言葉が世に現れ、よく使われるようになってしまっているため、「激しく怒鳴り散らす人」が、たとえ「正当」な主張をしていたとしても、「ああ、またか…」「これだから、老害は…」と、結果的に「老害」という言葉の「確認作業」を、「65歳以上」に充当しない世代の人々が行ってしまうのである。もちろん、10代、20代の若者の目には、一般に「中年」とされる40歳以上~65歳以下の人、場合によっては30代でも、先に挙げたような振る舞いをする人がいたとしたら、やはり「老害」認定を行ってしまいがちなのだが…。
■すぐキレる老害 その原因とは
「老害」の「害」の最大要因のひとつに、「すぐキレる」ことがある。それでは「すぐキレる」人はどうして、感情の抑制ができないのか。
その第一の理由として、保坂隆医師、脳科学コメンテーターの黒川伊保子氏は、脳の最前部に位置し、欲望や感情を抑制する働きをする前頭前野(ぜんとうぜんや)が未発達であることが原因だという。この部位は、食欲や睡眠欲など、動物的本能を司る大脳辺縁(だいのうへんえん)系が、「生命」として真っ先に発達するのとは異なり、大体10代後半ぐらいまで成長を続ける。それゆえ、子どもの頃に我慢や抑制をせずに育つと、この部位の発育が弱くなるのだ。
第二の理由は、脳内の神経伝達物質・セロトニン不足による。それは、現代人特有の問題でもあるのだが、疲労・ストレス・夜型生活・運動不足・人とのコミュニケーション不足によって、セロトニンを分泌させるセロトニン神経が弱まっているというのだ。
そして最後の理由として、血糖値の乱高下にあるという。脳が正常に働くために必要な血糖値が80を下回る低血糖状態に陥ると、体が血糖値を上げさせるため、アドレナリンなどの興奮物質を分泌させるようになる。または、空腹時に甘いものを摂取すると、今度は体が、血糖値を下げさせるために、インシュリンを分泌する。そうなると今度は逆に血糖値が急降下し、低血糖状態となる。そうなると集中力が途切れ、ぐったり、ぼんやりしてしまう。その後、低血糖ゆえに、今度はアドレナリンが分泌されてしまい、イライラ激高し始める場合が少なくないという。
或いは、葉山節医師によると、会社勤めなど、社会的な制約があるうちは、脳を三層構造に分けた際、一番外側にあり、理性を司る「大脳新皮質(だいのうしんひしつ)」が常に鍛えられている状態にあることから、「多少のこと」なら我慢できる。しかし定年退職後に自由を手に入れてしまうと、大脳新皮質がだんだんと衰え始める。更に病気や加齢などによって体力そのものまで弱ってくると、一番内側にあり、生命の中枢である「脳幹(のうかん)」の働きも悪くなる。そうなると、真ん中にあり、感情を司る「大脳辺縁系」が暴走してしまうというのだ。
■年月とともに成熟して老いることはできないのだろうか
或いは、葉山節医師によると、会社勤めなど、社会的な制約があるうちは、脳を三層構造に分けた際、一番外側にあり、理性を司る「大脳新皮質(だいのうしんひしつ)」が常に鍛えられている状態にあることから、「多少のこと」なら我慢できる。しかし定年退職後に自由を手に入れてしまうと、大脳新皮質がだんだんと衰え始める。更に病気や加齢などによって体力そのものまで弱ってくると、一番内側にあり、生命の中枢である「脳幹(のうかん)」の働きも悪くなる。そうなると、真ん中にあり、感情を司る「大脳辺縁系」が暴走してしまうというのだ。
キレてしまうのは、「脳みそ」の「経年劣化」の問題だから、もうどうしようもない。自分はもうダメだ…とあきらめてしまい、鬱的になって「引きこもり」や「自殺」の道を選んでしまったり、逆に「うるさい!黙れ!おれは悪くない!」などと開き直って、「幸せそう」だったり、人生を謳歌し「キラキラ輝いている」ように見える若者たちに向かって嫉妬心を覚え、人生経験そのものが少ないことからくる彼らの不手際、または「知らないこと」を見つけては、それに対して暴言を吐くような、まさに文字通りの「老害」になってしまっては元も子もない。どうすれば帯津医師が言う、「成熟した魂」の持ち主になれるのだろうか。
■伊豆の長八の非・老害エピソード
話は飛ぶが、今日ではかなり摩耗してしまっているものの、関東大震災と東京大空襲を乗り越え、東京都品川区北品川の善福寺(ぜんぷくじ)本堂の軒下に今も残る、漆喰(しっくい)壁の表面に、龍や唐獅子などのレリーフを施し、彩色する鏝絵(こてえ)で有名な伊豆の長八(1815~1889)の「非・老害」とも言えるエピソードがある。
あるとき、長八のところに、魚河岸のさる問屋から、『魚(うお)づくし』、つまり、多種多彩な魚をモチーフにした鏝絵の依頼が舞い込んだ。長八は丹精こめて作品を仕上げ、一服していたところ、深川生まれの吉(きち)という魚売りの小僧がやってきた。
「小魚はいらないか~」と呼びかけた吉に長八は、「いらねえいらねえ」と断った。しかし吉は目ざとく、長八の『魚づくし』を見つけた。そして、種々の魚を見回して、「他の魚はいいが、このタイが、これじゃ、なってねえ」と文句をつけてきた。吉の馴れ馴れしいふるまいに、子どものことだからと相手にしなかった長八だが、だんだんと腹が立ってきた。そこで思わず、
「おれの仕事が、おめえなんぞの鼻ったらしにわかってたまるか。それともなにかい?なってねえと思うところでもあるのかい?」と、言い返した。すると吉は、
「あるとも、あるとも、大ありだい!」とひるまない。
長八は怒りをこらえて、「そうかい。いいから気にいらねえところを言ってみな」と下出(したで)に出てみた。
すると吉は、「このタイは、しろうとが見たら、よくできたとほめるかもしれねえが、おいらのように、年中まな板の上で生きた魚をひねくってる者がみちゃ、まるっきりだめだい。親方、わるいことはいわねえ。こんなタイは、ごみだめへすてて、犬にでも食わせっちまいな」と指図する。
長八が、「やい、口のききように気をつけろい!おれのタイのどこがいけねえ」と言うと、物おじせずに吉は、「生きているタイとくらべりゃ、すぐわからあ!」と開き直った。
長八は吉がもっていた魚を残らず買い取ると言い、1両渡して生きたタイを買ってきてくれと頼んだ。しかし吉は鼻で笑って、
「1両じゃ、お江戸のタイは手に入らねえよ」と言う。
それならと、3両持たせ、吉に「お江戸のタイ」を買いにやらせた。
ほどなくして、吉が3匹のタイを持って戻ってきた。
■僻むことなく、自らの過ちを素直に認めた長八
吉曰く、「こっちのやつは江戸のタイ。江戸のタイは内海(うちうみ)の静かな波にもまれているから、品(ひん)がいいやね。2番目は品川沖でとれるもの。一旦網にかかって、それからいけすの中へ囲っておくやつだから、たっぷりえさにありついて、太っちゃいるが、いつ料理されるかと、そればかり気にしてるから、つらにしわが寄ってらあな。魚だって、心配事はいちばんの毒よ。で、3番目が伊豆のタイ。こいつは荒海で暴れまわっていて、海辺の岩についている貝殻を鼻っ柱で叩きこわして食ってるんで、鼻曲がりだわな。それに肉はかたいし、大味(おおあじ)でとりどころのねえやつさ。ところが田舎もんは、この伊豆のタイを上物(じょうもの)だと思っていやがるから、世話はねえや。江戸の気の利いた料理屋は、こんなタイは使わねえ。名人と言われる伊豆長が、こんな鼻曲がりを使っていいのかよう!」と言った。
長八は吉の話を黙って聞いていたが、「おい、吉、よくおいらに教えてくれた。おれはな、伊豆の下田の生まれで、タイといえば、おめえの言う鼻曲がりだけだと思っていた。なるほどなあ。この注文の『魚づくし』はやり直しだい。おい、おっかあ、吉に朝飯でも食わしてやんな!」と奥にいる長八の女房に言ったという。
■イライラが残る人とそうでない人の違い
心理学者の植木理恵によると、ちょっとしたことでイライラしたり、キレて怒鳴ってしまう人ほど、イライラが鬱積しやすいという。40代から80代までの男女に、わざと実験者が失礼なことを言ったり、ナーバスな質問をし続けるという実験を行ったところ、「失礼じゃない!謝りなさいよ!」「何だと!ふざけるな!」などとすぐに反論する人が半分、そして「はあ、そうですかねえ…」「ふーん」と言うか、または実験者そのものを無視して黙っている人が半分だった。それから1週間後、「あのときのことは許せない!」と怒りが固着し、ストレス値が高いままだったのは、実はすぐに言い返す人々だったという。それは、激高した当時の状況、言葉のひとつひとつが自分の記憶にクリアにとどまり、「やっぱり許せない!もっと言ってやればよかった!」などと、怒りがエスカレートし続けるからだという。逆に聞き流したり、無視した人の方が、1週間後には何の怒りも固着しておらず、「そんなこと、言われました?」とあまり覚えていない状況だったという。この実験結果が絶対に「正しい」とは限らないものの、一見、自分が思ったことを即座に言い返す人の方が、ストレスフリー。そして言い返せずに黙って聞いている人の方が、ストレスがたまってトラウマ的なものとなり、常にその人を苦しめている、というイメージがあったのだが、そうではなく、即座に怒鳴りつけた際の怒りの言葉や態度がそのまま、言った本人に跳ね返り、疲れ、傷つき、いつまでも消えない怒りの火種になっているのだという。
■脊髄反射せずに聞いて受け止めて納得した長八
この実験結果を、先に挙げた、伊豆の長八と魚売りの小僧・吉とのエピソードと照合させてみよう。当時親子ほど年が離れていたという長八が吉に対して、「生意気なことを言うな!」などと一喝し、追い払ってしまっていたとしたら、その場はスッキリしたかもしれない。しかし吉のような「江戸っ子」で魚の目利きが利くはずの、依頼主である魚河岸の問屋の主人や、芸術が「わかる」、いわゆる「通(つう)な人」が、「鼻曲がりのタイ」のままの『魚づくし』の鏝絵を見てしまったら、吉同様、「タイが、これじゃ、なってねえ!」と厳しく指摘することは目に見えている。そうなると、それまでの長八の作品に対する賞賛や信頼は消え失せ、今後の活動にも響いてくる。下手をすると、「あいつには一切、任せらんねえ!」となることも考えられる。そうなると、長八は「あのとき」、即座に言い返し、追い返してしまった吉のことを思い出し、「もしかしたら、あいつのせいで!」などと勝手に被害妄想を募らせ、怒り・恨み・憎しみが固着し、いつまでも消えない怨念となってくすぶり続ける。まさに悪循環だ。到底、素晴らしい作品が生み出せるはずもない。怒りを抑え、タイを買いに遣り、江戸・品川・伊豆のタイの違いを聞いて、自らの「田舎者」ゆえの「無知」をひがまず、素直に認め、納得する。そしてそのお礼に、手間をかけた吉へ朝食をふるまうなど、植木が述べた先の実験の被験者たちのように、即座に怒りを返さなかった「ストレスフリー」の人たち同様の振る舞いをしている。だからこそ長八は死ぬまで、江戸と伊豆を行き来し、多数の素晴らしい作品を生み出すことができた。
明治10(1877)年には、著名な仏師・高村東雲(1826〜1879)、陶工・今戸弁司(1828〜1899)、人形師・松本喜三郎(1825〜1891)らとともに、第1回内国勧業博覧会に作品を出品した。そこで当時の内務卿(今日で言う首相)だった大久保利通(1830〜1878)から褒賞を受けた。しかも長八は多くの高弟を持ち、特に孫弟子の森田鶴堂(1857~1934)は、静岡県静岡市の安立寺(あんりゅうじ)に残る、長八と勝るとも劣らない鏝絵の名品を残すことができたのだ。
■年齢を重ねることで増す円熟味
小説家の五木寛之(1932~)は『死の教科書 −心が晴れる48のヒント−』(2020年)の中で、芸術家・岡本太郎(1911~1996)の母であり、小説家・歌人の岡本かの子(1889~1939)が晩年に発表した『老妓抄(ろうぎしょう)』(1938年)の最後に登場する歌、
「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐいのちなりけり」
を挙げ、上の句、「年々にわが悲しみは深くして」に心惹かれたと書いている。
それは、かの子自身は陽気な人だったが、そんな人でも年ごとに悲しみが深まっていったようだ。あの人でもそうだったのか、と感じずにはいられなかった。そして下の句「いよよ華やぐいのちなりけり」というのは、実際に自分の心が華やいで、命が輝いていた歓喜を詠んでいるというより、そうありたいという一種の願望だったのではないか、と解釈している。それは、五木の苛烈な、敗戦後の引き揚げ者として、貧困や病の不安の中で生きていた頃、そして売れっ子作家として生きていたものの50歳ぐらいのときにアシスタントをしていた弟が急逝したこと。そして「休筆宣言」や仏教を本格的に学ぶなどの人生経験から、「本当の悲しみというのは、月日とともに癒やされ、薄まっていくものではなく、むしろ時間が経つほど深まっていきます。人は、そうした悲しみを心と身体に抱えながら、生き続けることしかできないのです」と述べている。そうなると、個々人の人生において出会ってきた、出会わざるを得なかった「悲しみ」。しかもそれは消え失せることなく、時間が経てば経つほど、年を取れば取るほど、深まっていくのだ。
■老化は避けられないが老害は避けられる
今現在の医科学の「常識」において、個々人の脳の劣化には抗うことはできないが、周りや見ず知らずの人による「老害」を受け止める際、「自分はああなるまい」と反面教師として、彼らの粗暴な振る舞いを「流し」、そして、そのような「老害」的な老人であっても、岡本かの子が言う「年々にわが悲しみは深くして」通り、年々つのる、深い悲しみを抱えているのだと、「理解」「共感」するしかない。そうしないと、「恨み」が蓄積することでストレスがたまり、自分もまた、後何十年かしたら「老害」的にすぐキレる老人になってしまうだろう。そうなると例えば葬式の際に、「ああ、あいつが死んでくれてせいせいした」「ざまあみろ」などと陰口をたたかれる。またはそもそも、出席してもらえない。もっと極端な話をすると、「葬式」そのものさえ、執り行ってもらえない可能性もある。いくら「葬儀の多様化」が進んだ今日とはいえ、それではあまりに寂しすぎる。くれぐれも、我々はそうならないようにしたいものである。
■参考資料
■来栖良夫「伊豆長」東京むかし話の会(編)『読みがたり東京のむかし話』1975/2004年(182‐186頁)株式会社日本標準
■山田幸一「伊豆長八」下中弘(編)『日本史大事典 1』1992年(417頁)平凡社
■野口由紀夫「品川と伊豆長八」東京都品川区口碑伝説編集委員会(編)『品川の口碑と伝説』1958年(12‐15頁)品川区教育委員会
■「善福寺 ‐東京都品川区‐伊豆長八の鏝絵が残る東京都品川宿の寺 ‐北品川駅4分」『伝統の日本紀行』
■「品川人物伝 第9回 鏝絵(こてえ)細工の名工 伊豆長八」『品川区』2011年4月21日
■長山清子「キレる人は、なぜキレるのか? 脳科学から見る『3つの原因』」『PRESIDENT Online』2016年6月16日
■赤根千鶴子「キレる老人の“脳の仕組み”を医師が解説 『理性と生命力が低下し…』<週刊朝日>」『AERA dot.』2017年11月20日
■五木寛之『死の教科書 −心が晴れる48のヒント−』2020年 宝島社
■植木理恵『サクセスフル・エイジング しあわせな老いを迎える心理学』2020年 P H P研究所
■「帯津医師が“老害”に異議 『老人全般に拡大してしまっている <週刊朝日>』 『AERA dot.』2022年5月23日