あの戦国武将・武田信玄が創案したとされる、現代も色褪せない水害対策「聖牛」とは?
川の氾濫を阻止せよ
皆さんは「聖牛」はご存じですか? あの戦国武将の武田信玄が創案したとされる、川の氾濫を防止するための道具です。
戦国時代、甲斐国(山梨県)を治めていた武田信玄は、甲府盆地を流れる「釜無川」の洪水に頭を痛めていました。
釜無川は、日本3大急流の一つとして知られる富士川水系の河川です。八ヶ岳を源流として甲府盆地を通った後、笛吹川と合流するのですが、この合流する手前の辺りでよく洪水が起き、被害が発生していたのです。
そこで信玄は治水対策を実施。20年以上の期間をかけて堤防を築きました。この堤防は「霞(かすみ)堤」といい、川の流れに対して逆八の字に配置したものです。
上流・下流の堤防の間に隙間を設けた形で配置することで、大水の際は堤防の外にいったん水をあふれさせます。そして、その水を別の堤防で再度川に導く構造になっています。
信玄による数々の治水対策これとあわせて、河原に配置されたのが「聖牛」という構造物でした。これは、丸太を三角錐の形に組み立てて、重しの石で固定したものです。
これを、主に急流河川の水衝部に複数個配置することで、水の勢いを弱めたり、その流れを狙った方向に導くことができるようになります。
「聖牛」という名前は、木を三角錐に組み合わせた形状が、まるで牛の角のようだから付けられたといいます。ちなみに「聖」はスーパーとかウルトラの意味だとか。
信玄の治水対策といえば「信玄堤」が有名ですが、この「聖牛」も彼の創案とされています。最初に設置されたのは一部の河川でしたが、その後、信玄の勢力圏が拡大するにつれて天竜川、大井川、安倍川、富士川でも施工されています。
また、聖牛にはいくつか種類があります。川の流れを変えるために用いられる「大聖牛」や、それよりもひと回り小さい「川倉」のほか、小河川での流れを変えるために造られたもので、材木を四角錐の形に組んだも「菱牛」などです。
また最近では、聖牛は治水対策のみならず、土砂をためることでさまざまな生き物の住処となり環境を守る効果もあるとして注目されています。
何百年も前に造られた治水のための装置が、現代でもきちんと活かされているなんて凄いですね。武田信玄は単に強い戦国武将だったのではなく、いわば「国土交通大臣」としての才覚も持っていたことが分かります。
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