持てるすべてを駆使して戦え!武士道バイブル『葉隠』が伝える古武士の精神論

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持てるすべてを駆使して戦え!武士道バイブル『葉隠』が伝える古武士の精神論

♪尺余の銃(つつ)は 武器ならず 寸余の剣 何かせん
知らずやここに 二千年 鍛え鍛えし 大和魂(やまとだま)……♪

※軍歌『歩兵の本領』

【意訳】一尺(約30.3センチ)ちょっとの小銃など、武器の内には入らない。また一寸(1/10尺)ばかりの剣で何ができると言うのだろうか。知らないのか?2000年以上の歴史の中で鍛え上げられた大和魂こそ、何よりの武器だということを。

小銃が一尺、剣(軍刀、銃剣)が一寸なんてことはありませんが、何よりも大切な大和魂に比べれば銃も剣も大したものではないと言いたいのでしょう。

武人に大切なのは、銃や剣より大和魂?(画像:Wikipedia)

このように、とかく精神論・根性論を重んじる日本人。その気質は昔から変わらなかったようで、今回は江戸時代の武士道バイブルとして名高い『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、こんなエピソードを紹介したいと思います。

若い藩士たちへの教訓

今は昔し、佐賀藩・鍋島家中に大木前兵部(おおき さきのひょうぶ)という古武士がおりました。

彼は組の寄合に出るたび、若い藩士たちを捕まえては語りかけたと言います。

「よろしいか。お若い方々は奉公の心がけとして勇気を嗜まれよ。勇気というものは才能を必要とせず、心がければ誰でも身に着けられるものだ。いざ戦さにおいて刀が折れてしまったら拳で敵を殴り殺せ」

刀が折れたら組討ちを挑む。歌川芳艶「川中島大合戦組討尽 真田兵部 新発田因幡守」

問「もし手首を切り落とされてしまったら、何とされますか?」

答「手首がなくても残った肘や肩を叩きつけ、ほぐり倒してやればよかろう」

問「肩の根元からバッサリ斬り落とされた時は、何とされますか?」

答「まだ口が残っているだろう。思い切り噛みしめれば、敵の首を十や十五くらいは食いちぎれるだろう」

とにかく生きている限りは、持てるすべてを駆使して戦ってこそ武士というもの。

「ま~た大木殿が繰り言を……」

言っていることは(いささか極端とは言え)もっともながら、あまりに毎回繰り返すものですから、若い藩士らも辟易していたかも知れませんね。

終わりに

四〇 大木前兵部勇気勧めの事 兵部組中参会の時、諸用済みてよりの咄に、「若き衆は随分心懸け、勇気を御嗜み候へ。勇気は心さへ附くれば成る事にて候。刀を打ち折れば手にて仕合ひ、手を切り落とさるれば肩節にてほぐり倒し、肩切り離さるれば口にて首の十や十五は喰ひ切り申すべく候。」と、毎度申され候由。

※『葉隠聞書』第七巻より

このエピソードを読んで、どこかで聞いたことがあると思ったら、佐賀出身の昭和軍人・牟田口廉也(むたぐち れんや)の演説でした。

……兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。……

むしろ牟田口氏が『葉隠』を元にしているのですが、精神論だけで戦さに勝てるなら苦労はしません。仮に勝てたと言うなら、精神以外の理由も必ずあるはずです。

「気合いばかりじゃ戦にゃ勝てぬ」

戦いに勝利するために闘志が大切なのはもちろんですが、闘志だけではどうにもならないのもまた事実。

人の上に立つ者は、個々の闘志に依存するのではなく、むしろ皆の闘志と能力を最大限に引き出せる状況を整えることが責務ではないでしょうか。

※参考文献:

古川哲史ら校訂『葉隠 中』岩波文庫、2011年6月 古川哲史『葉隠の世界』思文閣、1993年12月

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