キリスト教の一部会派が唱える「死後の希望 セカンドチャンス論」 (2/3ページ)

心に残る家族葬

セカンドチャンス論者は「よみ」は不信心者が落ちる場所であり、イエスは「よみ」にいる死者に福音を与え救ったのだと主張している。

なお東方正教会ではイエスは磔刑の後に埋葬され、靈(たましい)にて地獄に降り、地獄に居た義人を解放して天国に入らせたと伝わる。正教は原罪を認めないなどカトリックに比べるとやや穏健な印象があり、西欧キリスト教の本流に比べるとセカンドチャンス論に近いかもしれない。

■救いのチャンスは一度?

セカンドチャンス肯定派は全体から見ると少数派で、西欧キリスト教諸派のほとんどで否定されている。セカンドチャンスがあるなら、この世での伝道に意味がないことになるからだ。中には死後に回心すればいいと、この世で悪事を働く輩も出てくるかもしれない。セカンドチャンスを信じたい気持ちはわかるが、ご都合主義だというわけだ。輪廻転生などを認めていないキリスト教の救いは神に創造されたこの地上において、この生涯においてのみということであり「人生ただ一度きり」の思想といえる。

しかし福音を聴く機会があるにも関わらずこれを無視した者についてはともかく、キリスト教が布教される前の時代、国に生まれた人はどうなるのか。福音に預かっていないのだから、彼らは当然地獄行きである。セカンド・チャンスがない以上救われることはない。だが彼ら自信に何の罪があるのか。フランシスコ・ザビエル(1506〜1552)は日本人にこうした疑問を突きつけられた。洗礼を受けていない親や先祖はどうなるのかと問われ、やむなく地獄行きだと答えるしかなかった。ザビエルの容赦ない回答に彼らは非常に悲しんだという。

救いのチャンスは一度きり。これは相当に厳しい思想である。キリスト教は信ずる者は救われるが、信じない者は異端者として救われないという排他的な面がある。非クリスチャンとしては神とはそれほど狭量なのだろうかと問いたくなる。キリスト教内でもそうした疑問を抱く者は古来から絶えず、内村鑑三(1861〜1930)ら少数派による「万人救済説」が唱えられてきた。死後の希望を説くセカンドチャンス論も一定の支持を集め消えることはなさそうである。

■信仰に賭ける

非クリスチャンの筆者がどちらが正しいなどとは言えない。

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