我ら「賤ヶ岳の七本槍」!そのメンバーの数奇かつ波乱に満ちた生涯 (1/3ページ)

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我ら「賤ヶ岳の七本槍」!そのメンバーの数奇かつ波乱に満ちた生涯

賤ヶ岳の七本槍とは?

「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれる、豊臣秀吉の配下の武将たちがいました。「賤ヶ岳の戦い」で功績を挙げた面子です。これは、どんなメンバーだったのでしょうか。

まずは賤ヶ岳の戦いというのがどんなものだったのか……ということですが、戦国時代は「天下分け目の戦い」とされるものがいくつかあり、そのうちの一つです。

本能寺の変が起きた当時、信長の家臣で最も力を持っていたのは柴田勝家でした。秀吉は4~5番目くらいだったのですが、彼は山崎の合戦で明智光秀を破り、勝家と並ぶ存在となります。

柴田勝家像

その後の織田家の家督争いでも、秀吉が推した直系の三法師が後継者になっています。

やがて、勝家と秀吉は決戦することになります。そこで秀吉が本陣を構えたのが賤ヶ岳の東側で、この争いが後に「賤ヶ岳の戦い」と呼ばれるようになるのです。

さて賤ヶ岳の七本槍ですが、実際には九人だったという説もあります。ここでは七人に絞ってご紹介します。どんなメンバーだったのでしょうか?

加藤清正を筆頭に…

①加藤清正
言わずと知れた名将ですね。幼い頃から秀吉に仕え、各地の戦に参戦していくうちに戦いぶりを認められ、肥後北半国の大名となりました。

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