「関ヶ原の戦い」で翻弄された島津義弘!玉砕戦術 ”捨て奸”に至るまでの壮絶なドラマ【前編】 (3/4ページ)
義弘は御礼のために家康を訪問した折、「上杉景勝が上洛に応じない場合は自身も出陣する」旨を伝えたといいます。
そして家康は、そんな義弘に伏見城の留守を命じました。西軍の武将というイメージが強い義弘ですが、実は当初は東軍側での参戦を準備していたようです。
義弘は伏見城を守り切ることを決め、島津家に増援の兵を要請しますが、一向にやってきません。義久の影響を受けた島津家臣たちが援軍派遣を渋っていたのです。
戦力が心もとないなか義久は伏見城に向かいますが、なんと伏見城の留守居役である鳥居元忠に西軍とのつながりを疑われ、入城を拒否されてしまいます。
不本意な孤立島津家からの援軍要請も叶わず、入場も拒否され、義弘の率いる軍はたったの1000人。ひどい話で、この少数の軍が、西軍の軍勢4万人の中で孤立してしまったのです。