日本の政治家もテロ・暗殺の危険と隣り合わせ!?いま紐解く暗黒の近代史【戦前編】

Japaaan

日本の政治家もテロ・暗殺の危険と隣り合わせ!?いま紐解く暗黒の近代史【戦前編】

日本における「政治家の暗殺」

2022(令和4)年7月8日、自民党の安倍晋三元首相が白昼堂々、衆人環視の中で襲撃されて亡くなるという悲劇が発生しました。

総理大臣としての在任期間の合計が憲政史上最も長く、また在任中は各方面で活躍して注目を浴びた人だっただけに、多くの人に衝撃と悲しみを与えています。

首相経験者がこのような形で暗殺されるのは大変ショッキングですが、実は明治時代以降の政治史を紐解いてみると、こうした事例は決して珍しくないことが分かります。

今回は、日本の政治家のいわば「テロ・暗殺史」を紐解いてみます。戦前編・戦後編のうち、初めは「戦前編」となります。

首相経験者などが襲われた事件

64人の歴代首相のうち、暗殺という形で死亡したケースはこれまでに6件ありました。

伊藤博文像

まず、伊藤博文です。1909(明治42)年10月26日にハルビン駅で韓国の民族主義運動家から銃撃を受けて暗殺されています。

次に、日本で初めて本格的な政党内閣を誕生させた「平民宰相」として知られる原敬は、1921(大正10)年11月4日に東京駅で刺殺されました。この犯行現場は、今でも東京駅でマーキングされています。

また「ライオン宰相」として知られた浜口雄幸は、1930(昭和5)年11月14日、東京駅で右翼活動家に銃撃されて負傷。この傷がもとで、翌年に8月26日に死去しました。

さらに1932(昭和7)年5月15日には、犬養毅首相が軍人によって射殺。いわゆる「五・一五事件」です。

五・一五事件を報ずる大阪朝日新聞(Wikipediaより)

その後の「二・二六事件」では、ダルマさんの愛称で親しまれ、大蔵大臣としても活躍した高橋是清と、斎藤実が1936(昭和11)年2月26日に軍人のテロで暗殺されました。

そして今回の安倍元首相となるのですが、つまり総理大臣経験者が暗殺されたのは、実に約90年ぶりなのです。

もう少し範囲を広げて見ていくと、政治家が殺害あるいは殺害されそうになった事件もたくさんあります。

鹿児島の大久保利通像

1878(明治11)年5月14日に、当時の内務卿大久保利通が紀尾井町で暗殺されていますし、その後の1882(明治15)年4月6日には、自由党党首の板垣退助が刺されて負傷しました。

また、続く1889(明治22)年10月18日には、閣議を終えて霞ヶ関の外務省官邸に入ろうとした大隈重信が、爆弾を投げつけられて右足を負傷。膝上からの切断を余儀なくされました。

五・一五事件と二・二六事件

そして1932(昭和7)年の2~3月にかけて発生したいわゆる「血盟団事件」では、前の大蔵大臣だった井上準之助と、三井財閥の総帥である団琢磨が相次いで殺害されました。

先にもご紹介しました「五・一五事件」は、この血盟団事件の第二陣として計画されたものです。

廷内で深編笠を被る血盟団事件の被告(Wikipediaより)

また、永田鉄山軍務局長が暗殺される「相沢事件」に続いて発生した「二・二六事件」では、先述した高橋是清と斎藤実の他にも松尾伝蔵海軍大佐と渡辺錠太郎教育総監が殺害。さらに鈴木貫太郎侍従長が重傷を負い、前の内大臣だった牧野伸顕も襲撃されています。

ちなみに、エッセイ集『置かれた場所で咲きなさい』などのベストセラーがある渡辺和子さん(2016年12月30日に逝去)は、渡辺錠太郎の次女にあたります。

「二・二六事件」の叛乱軍将兵(Wikipediaより)

ここまでが、戦前の話になります。中には、「戦前というのはとにかく戦後とは全く違う暗黒の時代だった」というイメージが植え付けられており、だから暗殺などという野蛮な事件が起きていたのだろう、という印象を持つ人もいるかも知れません。

確かに、戦前の政治家の世界というのは、暴力と表裏一体のようなところがありました。政治家が襲撃に備えて拳銃や仕込み杖を携えていたなど、今では信じられない話もあったのです。

しかし戦後も、政治家に対する襲撃事件は後を絶ちません。ここからは「戦後編」に続きます。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「日本の政治家もテロ・暗殺の危険と隣り合わせ!?いま紐解く暗黒の近代史【戦前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、テロ政治家事件カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧