なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その1】

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なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その1】

「鎌倉殿の13人」で重要な役割を演じる後白河法皇・後鳥羽上皇ら院の権力者たち。ドラマでは、政治的な暗闘を担う人物として描かれています。

そんな彼らが頻繁に行った熊野詣(上皇らが行うときは熊野御幸)をご存じでしょうか。院の御所の奥で政治を動かしている印象の強い上皇たちですが、実はこんなにも積極的に外の世界に出ていたのです。

今回は熊野御幸について、3回にわたりご紹介します。【その1】では、熊野詣とはどのようなものなのか。そして、なぜ盛んになっていったのか、その経緯についてお話ししましょう。

後白河法皇(写真:Wikipedia)

熊野三山は神々が鎮まる聖地

熊野詣とは、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社のいわゆる「熊野三山」に詣でることを言います。

周知のとおり「熊野三山」は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、それぞれを結ぶ古道・熊野古道には多くの人が訪れます。

熊野本宮大社(写真:Wikipedia)

「熊野三山」がある紀伊山地は、紀伊半島の大半を占め、その中央には標高1,000~2,000m級の高く険しい山々が連なり、年間3000mmを超える豊かな雨の恩恵で、深い森林に覆われています。そのため、今も昔も、普通の人がおいそれと入っていけるような地形ではありません。

こうした地理的な条件から、紀伊山地は神話の時代から、神々が鎮まる聖地とされてきました。「国生み」の神様イザナミノミコトの墳墓と伝わる場所が熊野にあることや、神武天皇が熊野を通って大和に入ったという伝承も、大昔からこの地が特別な土地であったと考えられていた証でもあるのです。

山深い場所に位置する熊野三山(写真:熊野本宮観光協会)

仏教の普及とともに増えた熊野詣

奈良時代に仏教が盛んになると、紀伊山地の山々は阿弥陀仏や観音菩薩がいらっしゃる「浄土」に見立てられます。そして、僧侶や修験者が神聖な修行を行う場と考えられるようになりました。

仏教の振興に力を尽くした聖武天皇(写真:Wikipedia)

平安時代になると、末法思想が広がります。この思想は、お釈迦様が亡くなって1,500年目に「仏教の教えが消滅する世」が訪れるというものです。

この時代には、藤原氏の摂関政治が隆盛を極まる中で、貴族に変わるべく新しい勢力の武士が台頭し、世の中が乱れる動乱期に入っていきます。このような世情に、天皇や貴族だけでなく、民衆の不安も増していきました。

武士として関東で反乱を起こした平将門(写真:Wikipedia)

こうした時期に、「浄土」があるとされる神聖な熊野を詣でると、「来世の安泰」が得られるという信仰が広まり、熊野三山への参詣が増えていったのです。

【その1】はここまで。熊野詣が盛んになった経緯を述べてきました。

【その2】では、上皇たちを夢中にさせた熊野三山とは何かを紹介しましょう。

◎参考文献
『世界遺産 熊野古道 ~とっておきの聖地巡礼 歩いて楽しむ南紀の旅~』 メイツユニバーサルコンテンツ刊・伊勢・熊野巡礼部著(編集・執筆:高野晃彰)]

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