名優・仲代達矢が語る黒澤明&三船敏郎の素顔…「世界のクロサワによくこんな生意気なことが言えたものだ」直撃インタビュー

日刊大衆

画像はイメージです
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 今も映画や舞台の一線で活躍する、屈指の名優・仲代達矢。今年12月には90歳を迎える。その役者人生は日本映画史そのものだ。

 今回は、70年にわたる役者人生で出会った映画人の思い出を語ってもらった。
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 初めての映画出演は、黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)です。私が21歳、俳優座養成所の3年生だったかな。オーディションで、運よく受かったんです。といっても、農民たちが野武士と戦ってくれる侍を探す場面で、道を通り過ぎる浪人の役。時間にして数秒のカットに過ぎません。

 このとき、私は生まれて初めて刀を差し、ちょんまげもつけました。撮影は朝9時から始まり、終わったのは午後3時。6時間もかかったのはすべて私のせいでした。私が歩くだけで黒澤監督に怒鳴られました。

「ヅラが合ってないし、刀の差し方が間違ってる」

「なんだ、その歩き方は! 俳優座じゃ、侍の歩き方も教えないのか!」

 黒澤さんに怒られるよりつらかったのは、撮り直している間、俳優やスタッフがみんな待っていたことでした。端役一人のために、これだけ時間をかけて撮影するのだから、映画づくりとしては贅沢と言えば贅沢だとも言えますが、私には屈辱でしかありません。

 だから、自分は時代劇には向いていない。少なくとも「黒澤映画には二度と出るもんか」と思いました。

 ところが数年後、黒澤監督から『用心棒』(61年)出演のオファーが来る。この間に仲代は、小林正樹監督の『人間の條件』6部作(59〜61年)などに主演し、日本映画界のトップスターとなっていた。

『人間の條件』は、1、2部と3、4部の撮影の間に半年間の準備期間がありました。そこに黒澤組から話が来たわけです。私は、お断りしました。ところが、黒澤さんは諦めない。逃げ回ったんだけど、とうとう渋谷の料理屋で無理やり会わされ、黒澤さんから「なぜ出ない。シナリオが面白くないのか」と言われました。

■「世界のクロサワ」に、よくこんな生意気なことが言えたものだ

 実際、役としては面白いんですよ。最後は三船敏郎さんに殺されるんだけど、魅力たっぷりの悪役でした。それでも私は、「出たくありません。理由も言いたくありません」と、頑なに拒否しました。結局、小林正樹監督にも説得され、出演を決心したのですが、今考えると、“世界のクロサワ”に、よくこんな生意気なことが言えたものだと思います。

 でも、今度は衣装合わせで問題が生じました。私の首が長すぎて不格好だと言うんです。それで首を隠すために、たまたま近くにあった赤い布を巻くと、なんとかサマになった。後で映画評論家に

「江戸時代にマフラーをする侍なんか、いない」と指摘されましたが、ちょっとモダンで冷酷な悪役にはピッタリでした。

 これ以降、仲代達矢は黒澤映画の常連となる。続く『椿三十郎』(62年)にも出演し、三船敏郎演じる主人公に対決する悪役を再び演じた。そして、この作品からは時代劇を変える画期的な決闘シーンが生まれた。

 黒澤さんが撮る以前、時代劇と言えば、東映のチャンバラ劇ですよ。踊るように人を斬っていく。要するに、様式美の世界でした。ところが、黒澤さんは、それを真っ向から否定しました。「人を殺すんだから、もっと速く、リアルに斬れ」と言うわけです。それを見事にやってのけたのが三船敏郎さんでした。

 とにかく豪快で、速いのが三船さんの殺陣。殺陣がうまい人は他にもいますが、こと速さに関しては三船さんが抜きん出ていました。

 話題となったラストの三船さんと私の決闘シーンについては、具体的にどんなものになるか、撮影本番まで伏せられていました。知っているのは黒澤さんと一部のスタッフだけ。黒澤さんの指示で、私と三船さんは、別々の場所で殺陣の型を稽古しました。

 私が稽古したのは、狭い空間で敵に襲われたときの斬り方。刀を抜いたら、最短距離で振り上げ、一瞬で斬り下ろす。「トイレの立ち回りだ」なんて言われました。一方、三船さんは刀を左から抜いて私の心臓を目がけてズバッと斬る。お互い、型の練習だけを1週間やって本番を迎えました。

 仲代達矢の貴重秘話の続きは現在発売中の『週刊大衆』7月25・8月1日号で。

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