恋心を隠し切れず源頼朝の女?に手を出して粛清された安田義資【鎌倉殿の13人】 (2/3ページ)
しかしこれを見ていた龍樹前(りゅうじゅのまえ)という女性が、夫の梶原景季(かじわら かげすえ)に告げ口してしまいます。
「奥州征伐の戦没者を供養する永福寺の境内に恋文を投げ込むなど、不謹慎もはなはだしい!」
景季は父の梶原景時(かげとき)に艶書のことを伝え、景時はそれを頼朝に報告。果たして取り調べの結果、義資は加藤次景廉(かとうじ かげかど)によって梟首(斬首の上さらし首)とされてしまったのでした。
父・義定も連帯責任で…………今夕。越後守義資依女事梟首。所被仰付于加藤次景廉也。其父遠江守義定。就件縁坐蒙御氣色云々。是昨日御堂供養之間。義資投艶書於女房聴聞所訖。而顧後害。敢無披露之處。梶原源太左衛門尉景季妾〔号龍樹前〕語夫景季。又通父景時。々々言上將軍家。仍被糺明眞偽之時。女房等申詞苻号之間。如此云々。三年不窺東家之蝉髪者。一日豈遭白刃之梟首哉。
從五位下守越後守源朝臣義資〔年〕
遠江守義定一男
文治元年八月十六日任敍※『吾妻鏡』建久4年(1193年)11月28日条
【意訳】この日の夜、女性トラブルにより義資がさらし首にされた。その役目を加藤次景廉がおおせつけられた。義資の父である遠江守義定も連帯責任で頼朝の怒りを買ったとか。
昨日、永福寺の御堂供養において義資が女房に艶書を投じたためという。彼女は後のトラブルを恐れて黙っていたが発覚。梶原景季の妾である龍樹前がこれを夫に話し、梶原景時を経由して頼朝に伝えられた。
取り調べの結果、女房たちの証言が一致したため有罪となったとか。三年も秘めていた彼女への恋心を、一日の過ちによって台無しにしてしまった。
従五位下守越後守源朝臣義資(年齢不詳)
遠江守義定の息子
文治元年(1185年)8月16日叙任される。
三年不窺東家之蝉髪者。一日豈遭白刃之梟首哉(さんねん、とうけのせんびんをうかがわずんば、いちじつあにはくじんのきょうしゅにあわんや)。