「鎌倉殿の13人」ついに始まる!源頼家の暴走…第28回放送「名刀の主」予習

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「鎌倉殿の13人」ついに始まる!源頼家の暴走…第28回放送「名刀の主」予習

源頼家(演:金子大地)による新体制がスタートした鎌倉幕府。しかし早くも数々の難問が降りかかり、少し手に余っている様子。

そんな頼家を補佐するため、江間義時(演:小栗旬)らは宿老十三名による合議制を採用。しかし頼家は、それが自分をのけ者にするためと勘繰り、御家人たちと溝を作ってしまいます。

頼家は宿老たちに対抗しようと若い御家人6名を抜擢。いわば親衛隊として身辺に侍らせ、彼らと共に暴走していくのでした。

果たして頼家と御家人たちの関係はどうなっていくのか…NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第28回放送「名刀の主」の予習として、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』をのぞいてみましょう。

御家人の愛妾を奪取!頼家の暴挙を止めた政子の怒り

時は正治元年(1199年)7月16日。頼家は御家人の安達景盛(演:新名基浩)に、三河国で暴れまわっている室平四郎重広(むろ へいしろうしげひろ)の鎮圧を命じます。

「三河はそなたの父・安達盛長(演:野添義弘)の領国であるから、賊徒はそなたが鎮圧すべきである」

これまで景盛は何度も辞退していたのですが、それと言うのも実はこの年の春に京都から連れてきた愛妾を可愛がるあまり、少しの間でも離れたくなかったのだとか。

「よいからさっさと行け!」

たっての仰せにとうとう断り切れず、景盛は鎌倉を出発しました。

「しめしめ。実はわしもあの女を狙っていたのじゃ。景盛などにはもったいないわい」

さっそく7月20日、頼家は側近の中野五郎能成(演:歩夢)に命じて愛妾を拉致させ、これまた側近である小笠原弥太郎長経(演:西村成忠)の家に押し込めてしまいます。

「よし、連れてけ!」「お許しを!」拉致される景盛の愛妾(イメージ)

「ついに我がものとしたぞ。まったく手こずらせおって……」

頼家はこれまで彼女に何度も恋文を出していたのですが、まったく脈がなかったので今回の実力行使に及んだのでした。

7月26日、頼家は愛妾を御所の北離れ(北向きの御所)へ連れ込み、思う存分これを寵愛。そして小笠原長経・比企三郎宗朝(演:Kaito)・和田三郎朝盛(わだ さぶろうとももり)・中野能成・細野四郎(ほその しろう)の5人以外は出入り禁止とします。

(側近に指名されていた比企弥四郎時員はどうなんでしょうか。『吾妻鏡』にはこの部分に名前が載っていません)

これで邪魔が入らず楽しめるかと思っていたら8月18日、安達景盛が鎌倉へ帰ってきました。

「平四郎めはすでに逐電しており、方々を捜索したものの行方知れず。ひとまず帰参した次第にございます」

「あっそ。ふーん」

しかし討伐を命じればさんざん渋り、行ったら行ったで「もういませんでした」……これは謀反を企んでいるに違いない。そう密告した者(誰でしょうね?)がいるらしく、8月19日に頼家は景盛討伐を命じます。

取り巻きの若武者たちは慣れない戦支度にテンションも急上昇……いざ出陣!と思っていた矢先、二階堂行光(にかいどう ゆきみつ。二階堂行政の子)が使者としてやってきました。

「尼御台(政子)様より、書状にございます!」

そこには事情を知らされた政子(演:小池栄子)の怒りが綴られていました。

我が子・頼家の不行跡に怒りを隠せない政子(イメージ)

源頼朝(演:大泉洋)様に続いて三幡(演:東あさ美)まで亡くなった悲しみの中、いたずらに戦を好むとは実に不謹慎、世が乱れる元となります。安達景盛を処罰しようとの事ですが、彼がいったい何の罪を犯したと仰せか。ろくに調べもせず殺してしまえば、必ず後悔の元となりましょう。それでも安達殿を攻め滅ぼすと言うなら、まずはこの母を殺しなさい!(大意)」

ここまで言われてしまっては、さすがの頼家も兵を退かざるを得ません。こうしてひとまず騒ぎの鎮まった翌8月20日、政子は景盛に起請文を書くよう勧めます。

「昨日は何とか留まってくれましたが、私も高齢ですからいつまであなた方を守り切れるか分かりません。ですから今後謀叛せぬことを神仏にお誓いするのがいいでしょう」

一方で、頼家に対しては厳しく叱りつけました。

「昨日あなたが安達殿を討とうとしたこと、迂闊にもほどがあります。近ごろ世の乱れを見るに、あなたが鎌倉殿として務めを果たしているとは到底思えません。それと言うのも政務を放り出して民の苦しみを顧みず、女どもと遊び惚けて諫言に耳を傾けないからです。身の回りには愚かで道理をわきまえぬ諂い者ばかりをはべらせて、一体どういうつもりですか。
かつて頼朝様はいつも御家人たち(特に北条一族)に気をかけ、何かにつけて相談なされました。なのにあなたは彼らを疎んじるばかりか諱(いみな。実名)をもって呼び捨てにするため、少なからず怨みを買っていると言います。地位におごることなく相手を尊重して接すれば、末代まで世は乱れぬことでしょう(大意)」

現代と違い、たとえ目下の者に対しても実名で呼びつけることは縁起が悪いとしてタブー視されていました。頼家がよほど御家人たちを見下していたかが判ります。

果たして、そんな頼家に母の説教が響いたかどうかは……この先のお楽しみです。

鎌倉殿の懐刀・梶原景時を手放した頼家

政子が危惧していた通り、傍若無人な頼家の態度を快く思っていない御家人は少なくありませんでした。

正治元年(1199年)10月25日、結城朝光(演:高橋侃)は頼朝を偲ぶために念仏会を開催します。その席で、みんなにこんな思いを吐露したのです。

「昔しから『忠臣は二君に事せず(仕えず)』と言います。私は頼朝様に厚い御恩を受けた身、お亡くなりになった時に出家遁世して菩提を弔いたかったのですが、頼朝様の(自分の死後は頼家を支えて欲しいという)ご遺言に従って思いとどまりました。そのことがとても悔やまれてなりません。ところで今の世を見ると(いつ謀反の疑いで粛清されるかビクビクして)薄氷の上を歩いているような思いです」

朝光は元服に際して頼朝から朝の字を賜り、また成人の証しである烏帽子を被せてもらった深い絆で結ばれていました。

誰よりも頼朝に寄り添い、敬愛してきた朝光の思いを知る御家人たちはそれぞれ涙にくれたのですが、これを謀反の疑いありとして頼家に讒訴した者がいます。そう、梶原景時(演:中村獅童)です。

朝光(左)を讒訴する景時(イメージ)

「七郎(朝光)殿、早うお逃げ下され!」

朝光が殺されると知って、いち早く情報を伝えたのが阿波局(あわのつぼね)。大河ドラマでは実衣(演:宮澤エマ)と呼ばれる阿野全成(演:新納慎也)の妻です。

しかし逃げろと言っても、逃げたら逃げたで「謀叛を企んでいたから、やましかったのだろう」などと立場は悪くなるばかり。

ここはいちかばちか正々堂々と立ち向かおう。そこで朝光は断金の朋友(金属すら断ち切るほど強い絆で結ばれた友)である三浦義村(演:山本耕史)に相談しました。

「先だって安達(景盛)殿に讒訴したのもあの梶原と言うではないか。このまま放置しておけば、罪なき命が奪われ続けることになる!」

そこで和田義盛(演:横田栄司)や安達盛長に相談して景時の弾劾状を作成。かねて怨みを持っていた者たちの署名を募ったところ、書きも書いたり66名。

そこには千葉介常胤(演:岡本信人)、三浦介義澄(演:佐藤B作)、畠山重忠(演:中川大志)、足立遠元(演:大野泰広)、比企能員(演:佐藤二朗)など錚々たるメンバーが名を連ねました。

他にも小山朝政(演:中村敦)、佐々木盛綱(演:増田和也)、稲毛重成(演:村上誠基)、そして頼朝襲撃の疑いで出家させられていた岡崎義実(演:たかお鷹)の名前も。よほど景時が怨みを買っていたことが判ります。

「これを鎌倉殿へご奏上願いたい!」

弾劾状は大江広元(演:栗原英雄)を経由して頼家に提出されました(広元は景時を失うことを惜しんで渋ったものの、ついには押し切られてしまいました)。

「……との事だ。どうする平三」

頼家は景時に弾劾状を見せて「言い分があれば弁解するか、訴えの事実を全面的に受け入れて謝罪しろ」と伝えます。その無責任さに、景時は言葉を失ったことでしょう。

確かにこれまで、頼朝時代を含め多くの御家人たちを讒訴によって粛清へ追い込んできたのは事実です。

しかしそれはいずれも鎌倉殿の内意を受けてのことであり、讒訴によって御家人たちの忠誠を試し、時に掣肘を加えるのが景時の任務でした。

頼朝はそれによって御家人同士のパワーバランスを調整。例えば上総介広常(演:佐藤浩市)や一条忠頼(演:前原滉)、そして源義経(演:菅田将暉)など突出した者を「均す」ことで御家人たちを横一線に並べたのです。

先の安達景盛の件は、いささか無理筋が過ぎたかも知れません。そして今回の結城朝光についても、予想外の反撃が待っていました。

それでも鎌倉殿はいざとなればケツを持ってくれると信じたからこそ、今まで汚れ仕事にも手を染め続けたのです。

にもかかわらず頼家は、利用するだけしておいて、いざ御家人たちから反発を受ければ「俺知らね。お前のせいだからな」と丸投げしてしまいます。

「刀は切り手によって名刀にもなれば、なまくらにもなる」

かつて景時は、そんなことを語っていました。結局、頼家には景時という名刀を扱いきれず、また景時自身も頼家が持ったことで「なまくら」になってしまったのでしょう。

(大殿ならば、こうはなされぬ……いや、愚痴であろうぞ)

景時はやり切れぬ怒りを吞み込み、一切の弁解も謝罪もせず、鎌倉を去って所領のある相模国一宮(現:神奈川県寒川町)へ引きこもったということです。

終わりに

その後、景時は一度こそ鎌倉への復帰を果たすものの、今度は鎌倉から追放されてしまいます。

12月9日 鎌倉へ帰参
12月18日 評議の結果、景時の追放が決定。和田義盛と三浦義村によってその館は破壊され、その跡地と材木は永福寺に寄付された。

※『吾妻鏡』より要約

そして正治2年(1200年)1月20日、梶原一族は「謀反の疑い」によりことごとく滅ぼされてしまったのでした。

梶原一族の最期。尾形月耕「月耕随筆 梶原景時」

「それがしは頼りにされている」

「頼りにされているのと、利用されるのは違います」

かつて畠山重忠が景時にそんなことを言っていましたが、まさにさんざん利用された挙げ句切り捨てられた景時に、同情を禁じえません。

果たして大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では景時の最期がどのように描かれ、アレンジされていくのか。心して見届けたいと思います。

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 続・完全読本』産経新聞出版、2022年5月

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