「鎌倉殿の13人」梶原景時、暴走する源頼家の犠牲に…第28回放送「名刀の主」振り返り

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「鎌倉殿の13人」梶原景時、暴走する源頼家の犠牲に…第28回放送「名刀の主」振り返り

「刀は斬り手によって名刀にもなれば、なまくらにもなる。わしは、なまくらのままで終わりとうなかった……」

今回のサブタイトルが示す名刀とは梶原景時(演:中村獅童)だけでなく、彼が去り際に北条義時(演:小栗旬)へ託した善児(演:梶原善)のことでもあったようです。

さて、暴走する鎌倉殿・源頼家(演:金子大地)を何とかフォローしようと、結城朝光(演:高橋侃)の粛清を図った景時。

しかし御家人66名の反撃を受け、肝心の頼家からも梯子を外されてしまい、あれよあれよと流罪が決まってしまいます。

後鳥羽上皇(演:尾上松也)からの誘いに乗るべく(流刑地には行かず)上洛を図る景時ら梶原一族を義時は東海道で討ち取るのでした。

景時(左)を引き抜ければ儲けもの、そうでなくても鎌倉から追放されれば、どっちみち損はないと読んでヘッドハンティングを仕掛けた後鳥羽上皇(イメージ)

誰よりも私心なく鎌倉殿の御為に尽くした景時を討たねばならない義時の心中は、察するに余りあるもの。

善児という名刀を手放した景時は死に、景時という名刀を手放した頼家もまた、やがて非業の結末を迎えることになるのですが……。

それでは今週もNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第28回放送「名刀の主」振り返っていきましょう。

暴走する頼家と、すっかり尼将軍が板についた政子

「わしの政は、この6人で行う」

先週そう嘯いて北条時連(演:瀬戸康史)ら側近に鎌倉市中の風紀維持を命じた頼家でしたが、経験も実績もない若武者たちは右往左往。やることと言えば道路を掃除したり、迷い犬の飼い主を探したり……。

「まぁ、かわいいこと」

頼家たちの「政」に微笑みを浮かべる母・政子(イメージ)

報告を受けて、美しく微笑みを浮かべる尼御台・政子(演:小池栄子)。しかしその目は笑っていません。それがそなたの申す政とやらか……笑止千万。とでも言わんばかり。

まぁ、現代の政治家も似たレベルの人は少なくないので、頼家を笑ってばかりもいられませんが……。

それはそうと、宿老たちと張り合ってはみたものの、政務にはすぐ飽きてしまった頼家。妊娠した正室・つつじ(演:北香那。辻殿)を早々にほっぽり出して、御家人・安達景盛(演:新名基浩)の愛妾である“ゆう”(演:大部恵理子)と不倫に走ります。

挙げ句は景盛に対して「ゆうをわしに譲ってくれ」と迫り、父の安達盛長(演:野添義弘)が「力づくで人の妻を奪うなど、人の道に反している」と諫めれば「親子ともども首を刎ねろ」などと言い出す始末。

どうにも困った一同は政子を呼び出し叱りつけてもらう……もはや(あるいは元より)頼家は信頼されておらず、平時はとりあえず鎌倉殿として立てておくものの、何かトラブルがあれば政子に判断を仰ぐ形が出来ていました。早くも尼将軍が板につきつつあります。

亡き父・源頼朝(演:大泉洋)が許されていたことが、何で自分は許されないんだ……政子に叱られた頼家は不満をぶちまけますが、いくら頼朝だって力づくで他人の妻を奪うなんて非道はしていません。

どうも頼家は乳父の比企能員(演:佐藤二朗)らに育てられていたためか、鎌倉殿のリアルな実態を学んでいなかったのでしょう。権力者だから何でも許される訳ではなく、御家人たちあってこそ自分の地位を保ち得ることを知らなかったようです。

頼家を頼朝のそば近くで育てていたら、また違う未来があったかも知れない(イメージ)

また自分で選抜した側近6名についても比企能員の息子2名(比企宗朝・比企時員)が混じっていたり、最年長である北条時連を外見だけで最年少と勘違いしたりなど、十分に理解していない様子。

良くも悪くも頼朝は御家人たちをしっかりと理解し、彼らの心をつかんでいました(少なくとも『吾妻鏡』では)。だから誉める時はこれ以上なく誉めるし、罵倒する時はそれこそネチネチと責めたのです(それだけ、一人ひとりをよく見ていた証拠でもあります)。

それを「演技に過ぎない」という方もいるでしょう。しかし頼朝はそれを生涯にわたって貫きました。ずっとやり遂げたのであれば、たとえ本心でなくとも御家人にとってはその姿こそ「我らが鎌倉殿」なのです。

御家人たちが望む鎌倉殿の姿に気づき、頼家が目を覚ます……という展開があれば嬉しいものの、今の彼に期待するのは難しいでしょう。

「忠臣は二君に仕えず」と言った唐の王燭って?

そんな頼家の暴政を嘆き、頼朝時代を懐かしんだ結城朝光。「断金の朋友」たる三浦義村(演:山本耕史)と連携して景時を追い落とすべく、琵琶の指南を通じて実衣(演:宮澤エマ。阿波局)に接近しました。

「忠臣は二君に仕えず(忠義の家臣は二人の主君に仕えない)」

この言葉を遺したのは「唐の王燭(おう しょく)」と劇中で言及されていますが、ここで言う唐とは唐王朝(7世紀~10世紀)ではなく唐土(もろこし。中国大陸全般を指す言葉)の意味。

最期まで主君への忠義を貫いた王燭(イメージ)

王燭は古代中国の戦国時代、斉(せい)王朝に仕え、賢者として名声を広めていました。しかし主君である湣王(びんおう。実名は田地)は王燭の諫めを聞かずに暴政に明け暮れます。

愛想を尽かした王燭は湣王の下を去ったものの、他の君主に仕えることをよしとせず、農民として生計を立てていました。

果たして湣王は燕(えん)王朝によって滅ぼされ、王燭に再仕官の声がかかります。しかしこれを聞いた王燭は「忠臣は二君に仕えず」と断った上で自ら命を絶ってしまったのでした。

どんなに暗君であろうと最期まで忠義を貫いた王燭のエピソードは古代中国の歴史書『史記(田単列伝)』に記され、現代でも多くの人々に愛され続けています。

で、話は戻って結城朝光。頼朝の遺言さえなければ出家遁世して俗世を離れ、頼朝の菩提を弔う余生を送れた筈ですが……彼の波乱万丈な人生はまだまだ続くのでした。

出来れば大河ドラマでも登場させて欲しいものの、義村が砂金を渡して「しばらく身を隠せ」と言っている辺り、恐らくフェイドアウトしてしまうのではないでしょうか。

景時の弾劾状に北条時政の名前がないのはなぜ?

「この件、うちの人は関わりなかったことにしてもらいます」

景時を弾劾する署名を始めた時は、真っ先に「一番後ろ(左)にデンとお書き下さい。御家人たちの重石になります」なんて言って夫の北条時政(演:坂東彌十郎)に書かせておきながら、署名が集まるだけ集まったら小刀で時政の名前だけスッパリ切り離してしまった策士・りく(演:宮沢りえ。牧の方)。

その一方で、時政の署名位置を不審がりつつ「比企殿に譲ったのでしょう」と言われてフンフン先頭に署名してしまう比企能員。そばに妻の(演:堀内敬子)がいたら、また別の展開が見られたかも知れません。

さて、景時の弾劾状について『吾妻鏡』を見ると、時政が署名した記述がありません。その理由を「りくが切り取ってしまったからだ」とする演出は斬新でしたね。

ちなみに『吾妻鏡』における署名の筆頭は比企ではなく、千葉介常胤(演:岡本信人)。危くお迎えの支度を始めそうになっていたところ、合戦を予感にワクワク復活したようです。

景時との一戦にワクワクしていた?千葉介常胤(イメージ)

(義村に「もうじき死にます」なんて言われていますが、少なくとも三浦義澄よりは長生きします。余談ながら)

『吾妻鏡』を見ると、署名したのは66名とあるものの、実際に名前が挙げられているのは38名のみ。残り28名については比較的無名の者だったのでしょうか。

せっかくなので、今回の大河ドラマに登場している御家人のみ名前をピックアップしてみましょう。

千葉介常胤 三浦介義澄(演:佐藤B作) 三浦兵衛尉義村 畠山次郎重忠(演:中川大志) 小山左衛門尉朝政(演:中村敦) 結城七郎朝光 足立左衛門尉遠元(演:大野泰広) 和田左衛門尉義盛(演:横田栄司) 比企右衛門尉能員 山内刑部丞經俊(演:山口馬木也) 安達藤九郎盛長入道 佐々木三郎兵衛尉盛綱入道(演:増田和也) 稻毛三郎重成入道(演:村上誠基) 安達藤九郎景盛 岡崎四郎義實入道(演:たかお鷹)

ここには時政どころか、義時ら北条一族は一切入っていません(重忠や重成が縁者ではあるものの)。もしかしたら残り28名の中に入っていたけど都合が悪いので伏せたのでしょうか。

あるいは千葉や三浦、小山一族といった有力御家人たちが景時弾劾を主導していて、北条一派が(実は景時と親しかったなどの事情から)蚊帳の外に置かれていた可能性も考えられます。

訴訟の評議に登場した大谷太郎と大谷次郎って実在するの?

冒頭、大江広元(演:栗原英雄)の主導によって始まった土地争いの評議。

訴え出たのは、常陸国(現:茨城県)の御家人である大谷太郎(おおやの たろう)と大谷次郎(じろう)兄弟。

太郎の曰く「土地は自分が亡き父から受け継いだものであり、その一部を求める次郎の要求は不当」と主張。対する次郎は「土地は自分が父から譲り受けた」と反論しているようです。

訴訟を取り仕切る大江広元。歌川国貞筆

これに対して太郎と親しい北条時政は太郎に肩入れし、三浦義澄もこれに同調。更には和田義盛も「次!」と有無を言わせない様子ですが、比企能員はこれに異議を唱えます。

「知っているだけで肩を持つのはどうか」

と言いながら、比企は一族の婿である次郎を遠回しに支持します。

時政「政に私情を挟むんじゃねぇ」
比企「どの口が!どの口が!」
和田「表に出ろ!」
比企「表に出ろと言われて表に出てよかったためしはない!」

誠にその通りですが、口ぶりから察するに若い頃は実際「表に出た」経験があるようです。比較的お上品なようでいて、やっぱり比企も坂東武者なんですね。

すると比企から賄賂をもらって(嗅いで?)いた八田知家(演:市原隼人)が口添えします。

八田「どうもひっかかる。その土地でずっと米を作らせてきたのは、太郎ではなく次郎のはずだ」

そもそも大谷兄弟の父親が亡くなったのは、20年以上も昔のこと……調べたところ、父親が亡くなってからの20年間、土地を耕して管理していたのは次郎とのこと。

だったらどう考えても土地は次郎のものと思えますが、なぜ太郎は今ごろ訴え出たのか……義時の察するところ「鎌倉殿の代替わりしたどさくさ紛れでワンチャン次郎の土地を奪えると狙ったのであろう(意訳)」と。

頼家政権は、実にナメられていたようです。しかし問題はそこではありません。

景時「誼を重んじ便宜を図るのは政の妨げになるので、以後やめていただきたい!」

公平公正・頑固一徹な景時が宿老たちを一喝して評議は終了。コネやしがらみの多い鎌倉幕政に先が思いやられるのでした。

父の遺領を争う大谷兄弟(イメージ)

……ところで、この大谷兄弟は実在するのでしょうか。調べてみてもこれと言った人物が見つからないので大河ドラマの創作である可能性が高いです。

それでは大谷の苗字もテキトーなのでしょうか。そう(例えばスタッフの苗字など)かも知れませんが、あくまで仮説ながら大谷という土地を治めていた武士がいたとしたら、どの辺りにいたのか考察してみます。

現在の茨城県で大谷という地名(大字)が残っているのは、稲敷郡美浦村。霞ケ浦の南西に面し、千葉県ともほど近い場所に位置する自治体です。いいところですね。

八田知家と面識が深いようですが、知家が常陸国を領有=本拠地の下野国(現:栃木県)から移転したのは建久4年(1193年)以降ですから、治承年間(~1180年)に亡くなっている父親と恐らく面識がありません(亡くなった時期については兄弟から聞いていたのでしょう)。

太郎と次郎の兄弟がいて、太郎は時政と親しく、次郎は比企の娘婿……果たして誰かモデルはいるのでしょうか。

ストーリーの流れとは全く関係がない(13人の合議制がコネとしがらみにとらわれてまともに機能しなかった、と描写するためだけの)場面なのでどうでもいいと言えばいいのですが、たまたま大谷と名づけられたのも何かキッカケがあるのでしょうから、色々考えてみても楽しいものです。

終わりに

かくして始動したと思ったら、早くも脱落者が出てしまった13人の合議制。もはや「看板に偽りあり」状態です。こんなグダグダな状態で、京都の後鳥羽上皇に太刀打ちできるのでしょうか。

蹴鞠に興じる頼家たち(イメージ)

次週放送の第29回は「ままならぬ玉」。並べられた首桶、「見ました?」と尋ねる善児、呪いに使う?木偶人形、アクションシーンを見せる女性、投げ放たれる飛刀(くない)、「鎌倉から放り出せ!」叫ぶ頼家……。

そして「次郎!」時政の涙は、恐らく景時の死を追うように世を去った悪友の三浦義澄(通称:次郎)に向けられたものでしょう。

サブタイトルは蹴鞠を連想させますが、ダブルミーニング(掛詞)であればもう一つの意味は何なのか、次回までの宿題ですね。

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 続・完全読本』産経新聞出版、2022年5月

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