比企能員、暗殺計画!北条時政の命により仁田忠常と天野遠景は…後編【鎌倉殿の13人】

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比企能員、暗殺計画!北条時政の命により仁田忠常と天野遠景は…後編【鎌倉殿の13人】

前編のあらすじ

比企能員、暗殺計画!北条時政の命により仁田忠常と天野遠景は…前編【鎌倉殿の13人】

鎌倉殿の二代目・源頼家(みなもとの よりいえ)を排除するべく、北条時政(ほうじょう ときまさ)より頼家の後ろ盾である比企能員(ひき よしかず)の暗殺を命じられた仁田忠常(にった ただつね。四郎)と天野遠景(あまの とおかげ)。

「軍勢なんか要らねぇよ。あんな老いぼれ爺ぃ一匹、俺らでサクッと殺ちっまわぁ。なぁ四郎よ」

「おう!」

比企能員(中央)を取り押さえて殺す忠常(左)と遠景。『星月夜顕晦録』より

果たして慢心していた隙を衝き、能員の暗殺に成功した忠常たち。時政は残りの比企一族を攻め滅ぼすため、号令を発したのでした。

比企一族を攻め滅ぼす

「さぁ、総大将を倒したぞ。野郎ども、一気に攻め滅ぼしちまえ!」

「「「おおう……っ!」」」

能員を討った勢いで、時政はかねて根回ししておいた御家人たちを動員。大挙して比企一族の館へ攻め込みました。そのメンバーは以下の通り。

比企館(現:妙本寺)へ攻めかかる御家人たち(イメージ)

江間四郎義時(えま しろうよしとき。北条義時) 江間太郎泰時(たろうやすとき。北条泰時) 平賀武蔵守朝雅(ひらが むさしのかみともまさ) 小山左衛門尉朝政(おやま さゑもんのじょうともまさ) 長沼五郎宗政(ながぬま ごろうむねまさ) 結城七郎朝光(ゆうき しちろうともみつ) 畠山次郎重忠(はたけやま じろうしげただ) 榛谷四郎重朝(はんがや しろうしげとも) 三浦平六兵衛尉義村(みうら へいろくひょうゑのじょうよしむら) 和田左衛門尉義盛(わだ さゑもんのじょうよしもり) 和田兵衛尉常盛(わだ ひょうゑのじょうつねもり) 和田小四郎景長(わだ こしろうかげなが) 土肥先次郎惟光(どひ せんじろうこれみつ) 後藤左衛門尉信康(ごとう さゑもんのじょうのぶやす) 所六郎右衛門朝光(ところ ろくろうゑもんともみつ) 尾藤次知景(びとうじ ともかげ) 工藤小次郎行光(くどう こじろうゆきみつ) 金窪兵衛尉行親(かなくぼ ひょうゑのじょうゆきちか) 加藤次景廉(かとうじ かげかど) 加藤太郎景朝(かとう たろうかげとも) 仁田四郎忠常

……などなど、錚々たる顔ぶれが勢ぞろい。こんな事もあろうかと、時政の根回しがよほど周到であったことが判ります。

一方、迎え撃つ比企の軍勢は以下の通り。

比企三郎(ひき さぶろう。比企宗朝) 比企四郎(しろう。比企時員) 比企五郎(ごろう) 川原田次郎(かわらだ じろう) 笠原十郎左衛門親景(かさはら じゅうろうざゑもんちかかげ) 中山五郎為重(なかやま ごろうためしげ) 糟谷藤太兵衛尉有季(かすや とうたひょうゑのじょうありすえ)

……など。人数だけみれば圧倒的に劣勢ながら、死力を尽くして戦ったため、御家人の中には負傷して交代する者も出てきました。

「番替え、進め!」

しかし畠山重忠は温存していた兵力を前線の者たちと交代させ、一気に戦局を制します。果たして比企の館は炎上し、郎党らは次々と討死、自決していったのでした。

比企一族の最期(イメージ)

そんな中、能員の嫡男であった比企与一兵衛尉(よゐちひょうゑのじょう)は一族の望みをつなぐため、恥を忍んで女装・脱出。しかし道中で加藤次景廉に発見され、討ち取られてしまいます。

かくして北条一族によるクーデター「比企能員の変(比企の乱)」は時政の勝利に終わったのでした。

尼御台は本当に「聞いた」のか?

比企一族の滅亡によって完全に孤立無援となってしまった頼家は、間もなく出家を迫られて鎌倉から追放されてしまいます。

ところで、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には「政子が頼家と能員の陰謀を障子の陰から聞いていた」と記述されていますが、本当でしょうか。

……追討之儀。且及許諾。而尼御臺所隔障子。潜令伺聞此密事給。爲被告申。以女房被奉尋遠州……

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月2日条

【意訳】(頼家は能員に対し、時政を)討つことを許諾された。政子は障子ごしに二人の密談を聞いてしまい、女官を派遣して時政(遠州)に伝えた。

しかし頼家と政子は同居しておらず、仮に政子が見舞いに来ていたとしたら、政子に聞かれかねない状況でその父・時政を討つよう密談などするでしょうか。

障子の向こうに誰かいたら、気づいてしまいそうなものだが……(イメージ)

この現代ドラマ的に不自然な状況は『吾妻鏡』編者による曲筆(筆を曲げる、転じて事実と異なる脚色・捏造)と言われ、ドラマチックであるがゆえに民間に流布していた「物語」がそのまま記録された可能性も指摘されています。

では、政子がリークしたのでないとすれば誰が時政討伐の情報を伝えたのでしょうか。

一説として、頼家がかねて側近として重用していた中野五郎能成(なかの ごろうよしなり)ではないかと言われています。

先ほど、時政が能員を館へ誘い込む時に狙撃手として中野四郎(なかの しろう)を配置していました。この四郎は五郎と同族(兄弟?)と考えられ、後に五郎が頼家の側近として流罪の判決を下された際、特別に赦されているのです。

これは中野五郎が時政によって送り込まれたスパイ?であり、頼家の動向が中野五郎⇒中野四郎⇒時政と筒抜けであった可能性を示しているとか。

「よもや五郎、そなた……」果たして頼家は誰を信じられたのか(イメージ)

時政や能員らといった宿老たちに対抗するため、頼家が集めた6人の側近。

小笠原長経(おがさわら ながつね) 中野能成 比企宗朝(三郎。能員の子) 比企時員(四郎。能員の子) 細野四郎(ほその しろう) 和田朝盛(わだ とももり。和田義盛の孫)

しかしその多くが比企・北条そして三浦(和田)の息がかかっており、常に情報は筒抜けであったようです。

情報を制する者が鎌倉を制す……北条による粛清劇は、まだまだ続くのでした。

エピローグ

さて、比企一族の滅亡から4日が経った9月6日。忠常は比企能員を仕留める大手柄の恩賞をもらうため、時政の館へ招かれました。

「いやぁ、此度のことは仁田殿が殊勲なくして成り得なんだ。恩賞はうんと弾みもうそう……」

「ははぁ、ありがたき仕合せにございまする!」

ちょっと挨拶して(恩賞の約束をとりつけて)帰るつもりだった忠常でしたが、時政はもう大喜びで歓迎します。

頼朝の挙兵以来、数々の戦場で武勲を立ててきた仁田四郎忠常。時政からの信頼も厚かったことだろう。歌川国貞筆

一方、あまりに長く引き留められたため、門前で待たされていた忠常の下男たちは何だか不安になってきました。

「おい、大丈夫かよ。たしか四郎様は……」

実は比企一族を喪った頼家が時政討伐を命じる書状を発しており、その一通が忠常の元へ届いていました。

もう一通が発せられた和田義盛はそれをすぐに時政に提出して敵意のないことを示したものの、忠常はまだ書状を持っているはず。

「もしかして、書状のことがバレたんじゃ……」

「ということは、四郎様はもう……」

疑心暗鬼に陥った下男たちは、慌てて館へ逃げ帰って忠常の弟である仁田五郎忠正(ごろうただまさ)・仁田六郎忠時(ろくろうただとき)に報告しました。

「何だと、兄上が……こうなったら仇討ちだ、北条だろうが何だろうが皆殺しにしてくれようぞ!」

「狙うは江間小四郎(義時)、まずはアイツを血祭りじゃ!」

早とちりで挙兵した五郎と六郎は、義時がいると聞いた御所へと進撃しますが、御家人である波多野五郎忠綱(はたの ごろうただつな)によって返り討ちに。

五郎はたちまち首級を奪られて梟首(きょうしゅ。さらし首)とされ、六郎は火を放って自刃したのでした。

仁田六郎の自刃(イメージ)

「ん、何だありゃ?」

そんな事とも知らずに時政からさんざんもてなされて帰宅途中の忠常(下男が勝手に帰ってしまったことに、怒っていたのでしょうか)。

御所の方角で上がる炎を見て不審に思い、近くの者に話を聞いたところ、どうやら自分の弟たちが謀叛を起こしてしまったとのこと。

「何と言う事だ……しかしこうなってしまった以上、戦って命を棄てるまでだ」

たった一人で御所へ向かおうとした忠常でしたが、

「させねぇよ」

現れたのは挙兵以来の同志である加藤次景廉。忠常はあっけなく殺されてしまったのでした。

終わりに

及晩。遠州召仁田四郎忠常於名越御亭。是爲被行能員追討之賞也。而忠常參入御亭之後。雖臨昏黒。更不退出。舎人男恠此事。引彼乘馬。歸宅告事由於弟五郎六郎等。而可奉追討遠州之由。將軍家被仰合忠常事。令漏脱之間。已被罪科歟之由。彼輩加推量。忽爲果其憤。欲參江馬殿。々々々折節被候大御所。〔幕下將軍御遺跡。當時尼御臺所御坐〕仍五郎已下輩奔參發矢。江馬殿令御家人等防禦給。五郎者爲波多野次郎忠綱被梟首。六郎者於臺所放火自殺。見件烟。御家人等竸集。又忠常出名越。還私宅之刻。於途中聞之。則稱可弃命。參御所之處。爲加藤次景廉被誅畢。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月大6日条

かくして、心ならずも非業の最期を迎えた仁田四郎忠常。下男そして弟たちの軽挙妄動により、永年の忠義も無に帰してしまったのです。

かつて富士の巻狩りで大猪を仕留めた忠常。しかし実はこの猪が山の神で、その祟りによって寿命を縮めてしまったとの伝承も(『曽我物語』より)。歌川国芳筆

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではティモンディ高岸宏行が熱演し、視聴者から大きな反響を呼んでいる忠常。

いつもニコニコ、泣く時は子供のよう。でもここ一番ではとてもカッコいいその姿に、魅せられた方も多いのではないでしょうか。

そんな忠常の最期を、脚本の三谷幸喜はどのようにアレンジするのか、心して見届けたいものです。

【完】

※参考文献:

石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』中公文庫、2004年11月 木村茂光『初期鎌倉政権の政治史』同成社、2011年10月 坂井孝一『曽我物語の史的研究』吉川弘文館、2014年11月 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月

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