文化的な断絶から見る邪馬台国と大和朝廷の関係 (2/3ページ)

新刊JP

というのも、卑弥呼の娘のトヨについて書かれたあと100年間ほど、中国の歴史書に倭が出てこなくなるんですよ。そしてその空白の間に色々なことが変わりました。邪馬台国の人々は刺青をしていましたが、大和朝廷が成立するとその習慣はなくなりました。あとはお墓ですよね。卑弥呼の時代の埋葬は穴を掘って埋めるだけでしたが、大和朝廷になると古墳ができます。そこには大きな文化の変化があった。

――邪馬台国的な文化が消えて別の文化に置き換わった。

藤田:中国の歴史書に出てこなくなることと、文化が一変したことを考えると、統治者が変わった可能性があるんじゃないかと考えています。

また「古事記」には神話がたくさん書かれているのですが、卑弥呼は出てこないんですよ。もし邪馬台国と大和朝廷に何らかの連続性があるのであれば、「古事記」に卑弥呼のことが書かれていてもおかしくないのですが、一切出てこない。それを考えると邪馬台国と大和朝廷は、場所が同じだけで政治的な連続性はないのではないでしょうか。

そう考えると邪馬台国は滅ぼされたと考えられます。邪馬台国と狗奴国の争いがどうなったかは今となっては知りようがありませんが、おそらく狗奴国が勝ち、邪馬台国に取って代わった。その後に大和朝廷ができたのではないかと思います。

――「タケルの遠征」のところがリアリティがありました。行軍のたどった道のりなどはある程度資料などから裏付けられているところがあるのでしょうか。

藤田:南朝鮮にいた人々(本の中では「ネオモンゴロイド」と呼んでいます)が大和にたどり着くのは簡単ではありません。色々な経過をたどって大和周辺まで来たのでしょう。堺周辺には古墳がたくさんありますし、出雲と吉備が戦ったという記録もあります。

しかし行軍のたどった道のりなどはどこにも資料などはありませんから、想像で書くしかありませんでした。ただ小説内には書きませんでしたが神武東征(神武が東に行った)と言う話が古事記に書かれていて、「八咫烏が神武天皇を大和へ導いた」という話は私が書いたタケルが南朝鮮から堺に移動して最後は大和に行った話と符合すると思っています。

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