長崎の原爆投下から77年。人と梯子が一瞬で影になるほどの凄まじい熱線【後編】 (2/2ページ)
当時、長崎市の人口は推定24万人、長崎市の同年12月末の集計によると被害は、死者7万3884人、負傷者7万4909人、罹災人員:12万820人、罹災戸数1万8409戸にのぼりました。
長崎の爆心地公園には旧浦上天主堂の被爆遺構を建て替え時に移設したレンガ造りの構造物が残っていますが、残っている事が奇跡と呼べるほど、全体が焼けて崩れており、浦上地区の被害の甚大さを窺い知る事ができます。
人間が一瞬で影に下の写真は長崎市で撮影された、熱線にさらされた外壁に残った人間と梯子の影です。
原爆によって人間や梯子が一瞬のうちに影になってしまうほどの温度になったのです。太陽の表面温度が約 6000℃、鉄が溶ける温度が約1500℃で、原子爆弾落下中心地付近では約3000℃から4000℃の高温となったのですから人体も梯子もひとたまりもありません。
原子爆弾の健康被害と影響甚大な被害を受けた浦上教会(浦上天主堂)では原爆投下時に告解(ゆるしの秘跡)を行っていました。
司祭の西田三郎・玉屋房吉を初め数十名の信者は、爆発に伴う熱線あるいは崩れてきた瓦礫の下敷きになり全員が即死、長崎医科大学でも大勢の入院・通院患者や職員が犠牲となりました。
広島の例に漏れず、長崎の原子爆弾も高温の熱線と強い爆風だけでなく強い放射線を放出し、放射化した塵などを多量に排出しました。
そのため、被害はTNT換算で推し量れる爆発の熱や爆風だけに留まらず、原爆症と呼ばれる放射線障害や白血病や癌などの病気を被曝者に引き起こし、その苦しみは現在も続いています。
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