長崎の原爆投下から77年。人と梯子が一瞬で影になるほどの凄まじい熱線【後編】 (1/2ページ)

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長崎の原爆投下から77年。人と梯子が一瞬で影になるほどの凄まじい熱線【後編】

前回はそもそもなぜ長崎市に投下されたのか、最初の目標は小倉市(現・北九州市)だった事を中心にたどりました。

前回の記事

長崎の原爆投下から77年。「運命」と呼ぶにはあまりに非情な驚きの事実【前編】

小倉上空での3回もの爆撃航程失敗し、残燃料に余裕がなくなった原子爆弾搭載機「ボックスカー」は、更に燃料系統に異常が発生したので予備燃料に切り替えるなどのアクシデントに見舞われました。

この時点で作戦中止して帰ってくれればどれほどよかった事か。しかし運命は非情です。

作戦は続行され、その間に小倉市の天候が悪化。更には日本軍高射砲からの対空攻撃が激しくなるなどの条件が重なり、目標を小倉市から変更し、午前10時30分頃B-29「ボックスカー」は小倉市上空を離脱、原子爆弾「ファットマン(太っちょ)」を搭載して第二目標である長崎県長崎市に向かったのです……。

長崎に原子爆弾投下

こうして広島の3日後の1945年8月9日午前11時2分、B-29「ボックスカー」が長崎市に原子爆弾ファットマンを投下しました。

投下地点は、当日の天候のため目標であった市街中心地から外れ、長崎市北部の松山町171番地(現、松山町5番地)テニスコートの上空でした。

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