鎌倉観光におすすめ!ラスボス・後鳥羽上皇をお祀りしている鶴岡八幡宮・今宮(新宮)【鎌倉殿の13人】 (3/4ページ)
我が子孫が世を取ることがあれば、それは全て我が力によるものである。もし我が子孫が世を取ることあれば、我が菩提を弔うように」と言い遺しました。
果たして延応元年(1239年)2月22日に崩御されると、その年は日本全国で疫病や飢饉、抗争が絶えなかったとか。
そこでお怒りを鎮めるために創建された当宮には、後鳥羽上皇のほか土御門院(つちみかどいん。第83代・第一皇子)、順徳院(じゅんとくいん。第84代・第三皇子)も合祀(ごうし。合わせてお祀りすること)されています。
土御門院は承久の乱にまったく関与していなかったため処罰されなかったものの「遠流となった父と苦しみを分かち合いたい」とばかり自ら土佐国へ下向(後に阿波国へ遷御)
一方の順徳院は積極的に関与していたため佐渡国へ遠流となり、父子それぞれ京都へ戻ることなく現地に果てたのでした。
怨親和解・親子再会の縁(よすが)として
順徳院。大河ドラマに登場した場合、誰が演じるのだろうか。藤原為信筆
人もをし 人も恨めし あぢきなく
世を思ふゆゑに もの思ふ身は※『小倉百人一首』第99番 後鳥羽院
【意訳】つくづく人間が愛しい反面、これほど恨めしいものもない。天下を憂えるがゆえにやり切れぬこの思いをどうしたらよいものか。
ももしきや 古き軒端の しのぶにも
なほ余りある 昔なりけり※『小倉百人一首』第100番 順徳院
【意訳】歳月を経て、すっかり荒れた宮中。古い軒先(※)の篠生(しのぶ。