「鎌倉殿の13人」時政を暗殺せよ!指令を受けた和田義盛と仁田忠常は…第32回放送「災いの種」予習

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「鎌倉殿の13人」時政を暗殺せよ!指令を受けた和田義盛と仁田忠常は…第32回放送「災いの種」予習

目が覚めたら、知らぬ間に出家させられていた源頼家(演:金子大地)。絶望的な病状から奇跡的な回復を見せたにもかかわらず、誰一人として喜んでくれない(喜んでくれる人たちは皆殺しに)……身から出た錆とは言え、実に可哀想でなりませんね。

さて、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第32回放送のサブタイトルは「災いの種」。この意味するところは生きててもらっては困る頼家と、もう一人は匿われている可能性が濃厚な一幡(演:相澤壮太)。

吾妻鏡』だと比企一族の滅亡から間もなく頼家が出家して伊豆へ幽閉され、弟の千幡(演:嶺岸煌桜。後の源実朝)が鎌倉殿の3代目に就任します。

今回はその辺りについて紹介。大河ドラマの予習そして違いを楽しむキッカケとなるでしょう。

頼家、最後の悪あがきも虚しく出家を迫られる

將軍家御病痾少減。憖以保壽算給。而令聞若君并能員滅亡事給。不堪其欝陶。可誅遠州由。密々被仰和田左衛門尉義盛及新田四郎忠常等。堀藤次親家爲御使。雖持つ御書。義盛深思慮。以彼御書献遠州。仍虜親家。令工藤小次郎行光誅之。將軍家弥御心勞云々。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月5日条

頼家が目を覚ましたのは、比企能員(演:佐藤二朗)らが滅ぼされてから3日後の建仁3年(1203年)9月5日。

和田義盛(左)と仁田忠常(右)。頼家が最後に恃んだ二人だったが……(イメージ)

後ろ盾であった比企一族が滅亡し、嫡男の一幡も戦火の中で死んだと聞かされ、頼家は北条時政(演:坂東彌十郎)を討つよう和田義盛(演:横田栄司)と仁田忠常(演:高岸宏行)に命じました。

書状を受け取った和田義盛はただちに暗殺計画を時政に通報。時政は書状を届けた堀親家(ほり ちかいえ)を工藤行光(くどう ゆきみつ)に殺させます。

一方の仁田忠常は時政を討とうとせず、と言って時政に通報もしませんでした。鎌倉殿の命令には背けないが、かと言って積年の同志である北条も裏切りたくない。要するに板挟みだったのでしょう。

及晩。遠州召仁田四郎忠常於名越御亭。是爲被行能員追討之賞也。而忠常參入御亭之後。雖臨昏黒。更不退出。舎人男恠此事。引彼乘馬。歸宅告事由於弟五郎六郎等。而可奉追討遠州之由。將軍家被仰合忠常事。令漏脱之間。已被罪科歟之由。彼輩加推量。忽爲果其憤。欲參江馬殿。々々々折節被候大御所。〔幕下將軍御遺跡。當時尼御臺所御坐〕仍五郎已下輩奔參發矢。江馬殿令御家人等防禦給。五郎者爲波多野次郎忠綱被梟首。六郎者於臺所放火自殺。見件烟。御家人等竸集。又忠常出名越。還私宅之刻。於途中聞之。則稱可弃命。參御所之處。爲加藤次景廉被誅畢。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月6日条

そんな態度が裏目に出てしまったのは9月6日、忠常が時政の館に呼ばれた時。比企能員を仕留めた恩賞をくれるというので館に出向き、よほど話が弾んだのかつい長居してしまいました。

門前で待っていた下人たちが「もしかして、暗殺計画がバレて殺されてしまったのでは」と勘違いして館に帰り、報告を受けた弟の仁田忠正(ただまさ。五郎)と仁田忠時(ただとき。六郎)が謀叛を起こしてしまうのです。

「江間小四郎、討たいでか!」

とりあえず北条義時(演:小栗旬)を討ち取るべく、尼御台・政子(演:小池栄子)らのいる大御所攻め込んだものの返り討ちに。忠正は梟首(きょうしゅ。さらし首)とされ、忠時は火を放って自害しました。

加藤景廉。忠常とは、挙兵以前からの仲間だった。歌川国芳筆

一方、時政の館を去った忠常は帰り道に弟たちの謀叛を知らされ、頼家を守るべく御所へ向かいます。しかし時政が放ったのであろう加藤景廉(かとう かげかど)によって殺されてしまうのでした。

霽。亥尅。將軍家令落餝給。御病惱之上。治家門給事。始終尤危之故。尼御臺所依被計仰。不意如此。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月7日条

こうして完全に孤立してしまった頼家は政子の説得によって9月7日、不本意ながら出家したということです。

時政に逆らった以上、絶対に許されない。せめて我が子の命だけは救いたいという政子の親心ゆえと信じたいところですが……。

鎌倉殿となった千幡、そして頼家は修禅寺へ

さて、邪魔な頼家がいなくなったので、いよいよ北条の息がかかった千幡が鎌倉殿に選ばれます。

吹擧千幡君。被奉立將軍之間。有沙汰。若君今日自尼御臺所。渡御遠州御亭。被用御輿。女房阿波局參同輿。江馬太郎殿。三浦兵衛尉義村等候御輿寄。今日。諸御家人等所領如元可領掌之由。多以被下遠州御書。是危世上故也。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月10日条

千幡は政子と共に輿で時政の館へ移ります。乳母である実衣(演:宮澤エマ。阿波局)も輿で随行。護衛は北条泰時(演:坂口健太郎)と三浦義村(演:山本耕史)らが務めます。

「御家人たちについては、これまで通りに所領を安堵する」

坂東武者のてっぺんに立った北条時政。しかし、その意識は所領と妻と家族だけが大事な小豪族のままだった(イメージ)

時政は鎌倉殿の名義で御家人たちに書状を発行。代替わりのどさくさ紛れに各地で所領争いが頻発することを防ぐ処置でした。

ちなみに、頼家の側近として活躍してきた平知康(演:矢柴俊博)と紀行景(きの ゆきかげ)は9月12日に京都へ帰るよう命じられます。大河ドラマではもっと前にお役御免でしたが、実際はこの時点での退場です。

阿波局參尼御臺所。申云。若君御坐遠州御亭。雖可然。倩見牧御方之躰。於事咲之中挿害心之間。難恃傅母。定勝事出來歟云々。此事兼思慮之内事也。早可奉迎取之由。御返答。即遣江馬四郎殿。三浦兵衛尉義村。結城七郎朝光等。被奉迎取之。遠州不知子細。周章給。以女房駿河局被謝申之處。成人之程。於同所可扶持之由。被仰御返事云々。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月15日条

さて、鎌倉殿が交代して間もない9月15日、実衣が政子の元へ相談にやって来ました。

「若君が執権の館に住まうことは確かに筋なのですが、牧御方りく。演:宮沢りえ)が何かにつけて若君を害そうと企んでいるらしく、乳母として不安でなりません」

政子も同感だったようで「成人するまで、母の元で育てますから」として北条義時(江間四郎)、三浦義村、結城朝光(演:高橋侃)らに連れ戻させました。

霽。幕下大將軍二男若君〔字千幡君〕爲關東長者。去七日。被下從五位下位記并征夷大將軍宣旨。其状。今日到着于鎌倉云々。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月15日条

また同日、朝廷より千幡君を征夷大将軍に任じる宣旨が鎌倉に到着します。日付はちょうど兄・頼家が出家した9月7日付です。

晴。遠州。大官令等被經沙汰。入道前將軍不可令坐鎌倉中給之由。被定申之云々。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月21日条

かくして千幡が将軍となった以上、頼家は鎌倉にいない方がよかろうと時政や大江広元(演:栗原英雄)らが協議した結果を進言しました。

霽。左金吾禪室〔前將軍〕令下向伊豆國修禪寺給。巳尅進發給。先陣随兵百騎。次女騎十五騎。次神輿三帳。次小舎人童一人〔負征箭。騎馬〕。後陣随兵二百餘騎也。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月29日条

ではどこへ下向いただくべきか……協議の結果、頼家は伊豆国修禅寺へ出発します。

頼家を修禅寺へ護送(イメージ)

先頭には随兵100騎、続いて女騎馬武者15騎、さらに神輿が3挺、傍らには弓矢で武装した小舎人が騎馬で1名従い、後からは随兵200余騎という物々しい様子でした。

これは前将軍であるからみっともない姿を見せたくなかったのか、あるいは再起を企む者たちによる奪還を防ぐための措置だったとも考えられます。

余談ながら、女性の騎馬武者と言えば巴御前(演:秋元才加)や坂額御前(はんがくごぜん)を連想しますが、それが15人も並んだ姿はさぞや壮観だったことでしょう。

また、3挺の神輿にはどなた(神様)が乗っていらしたのか、その辺りも気になるところです。

終わりに

頼家の出家によって3代目となった千幡。北条一族にとっては万々歳でしょうが、周囲の者たちがこのまま大人しく従い続けるとは思えません。

比企滅亡の戦火より逃げ延びたであろう比企尼(演:草笛光子)、頼家が正室・つつじ(演:北香那。辻殿)との間にもうけた善哉(演:長尾翼。公暁)、そして千幡を害そうとしているらしい“りく”の動きも気になるところ。

ますます混迷を深める鎌倉幕府の権力抗争。果たして義時はこれを断ち切ることができるのでしょうか。

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 続・完全読本』産経新聞出版、2022年5月

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