1000人もの女奴隷が奉仕?実は2人いた?多くの謎に包まれた邪馬台国の女王「卑弥呼」

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1000人もの女奴隷が奉仕?実は2人いた?多くの謎に包まれた邪馬台国の女王「卑弥呼」

大昔、邪馬台国という「クニ」をおさめた日本の女王として、教科書でも必ず紹介されるほど有名な「卑弥呼」。

しかし日本には、卑弥呼に関する史実がほとんど残されていません。この記事では、高い知名度とは裏腹に、生涯の多くが謎に包まれた卑弥呼に迫ります。

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卑弥呼に関する記述

約1800年も前の弥生時代を代表する歴史人物、「卑弥呼」。その誕生や活躍について詳しく記されているのは、日本の書物ではなく中国の歴史書「三国志」。

その「三国志」のなかで、日本の地理や社会、外交などについて記された「魏志倭人伝」に登場するのが卑弥呼です。

「クニ」の誕生と争い

魏志倭人伝によると、2世紀頃に日本各地で集落が誕生。その中で権力を保有した男性が王となって政治をおこなったことが記されています。

そして、この時点ではまだ、女性の王は登場していません。王を中心に活動した集落は「クニ」と呼ばれ、クニ同士の間では食べ物や土地を巡った争いが頻発しました。

女王の誕生

絶えない争いによって混乱状態に陥ったクニから、「女性を王にしよう」という動きが活発化します。そして抜擢されたのが、当時まだ幼かった台与と呼ばれる少女で、魏志倭人伝のなかで「卑弥呼」と記されている人物です。

卑弥呼は、クニの中でも中心的な権力を保持していた邪馬台国の女王として君臨。周辺のクニの争いを次々に収束させたとされていわれています。

卑弥呼の政治

弥生時代後期頃に邪馬台国を治めた卑弥呼は、焼いた亀の甲羅や骨の割れ目を見て吉凶を占う「卜術(ぼくじゅつ)」と呼ばれる占いを駆使した政治で民衆を導きました。

卑弥呼には1000人程の女奴隷が仕えていましたが、女王になってからは弟の前にしか姿を現さなかったと言います。代わりに、卑弥呼の弟が民衆に占い結果を伝えて、政治を支えました。

もう1人存在した卑弥呼

卑弥呼は180年代に即位してから亡くなる247年ごろまで、約60年間も女王として君臨したとされています。しかし、当時の平均寿命は約15歳。そのため、60年も在位することは不可能であるという見解があるのです。

そのため諸説ありますが、「卑弥呼」という呼称は人物名を表すものではなく、役職名または称号を意味しているとも言われています。

この説では、卑弥呼として即位した台与(とよ)について、「卑弥呼と呼ばれていた先代から名を受け継いだだけのアトツギだったのではないか?」とも言われています。

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