矢沢永吉72歳「YAZAWAの伝説」は続く…デビュー50周年の知られざる軌跡 (2/3ページ)
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矢沢永吉
「永ちゃんは広島の高校を卒業すると卒業証書を破り捨て、最終電車で東京へ向かったわけですが、ここから本格的に矢沢伝説が始まったんです」(前同)
■運命を変えた横浜
ところが、長距離の移動で尻が痛くなった矢沢は、途中の横浜駅で降りてしまう。憧れのビートルズが港町のリバプール出身だったことから、同じ港町の横浜に惹かれたという気まぐれだったようだ。
「翌朝、三食宿つきのボーイの仕事を見つけ、矢沢はそのまま横浜に居ついてしまう。東京を目指していたはずが、なぜか横浜。ただ、もし矢沢が横浜駅で降りていなければ、キャロルが結成されることもなかったでしょう」(同)
川崎の楽器店にバンドメンバー募集の貼り紙を出した矢沢。それを見て電話をかけてきたのが、キャロルのメンバーとなるジョニー大倉(故人)と内海利勝(69)だった。
「キャロルは社会現象になるほどの人気バンドに成長しましたが、ジョニー大倉のドラッグ問題などもあってメンバー間に軋轢が生まれ、あえなく解散。実質3年足らずの活動でした」(前出の業界関係者)
キャロルの幕引きも、伝説になっている。
「75年に日比谷野外音楽堂で行われた解散コンサートでは、特殊効果の爆竹の火がセットに燃え移り、“CAROL”と書かれた電飾が崩れ落ちるというアクシデントがあったんです。しかし、観客はキャロルが燃え尽きたことを暗示する演出だと思って、大興奮したんです」(前同)
このラストはロック史に残る名シーンとして語り継がれ、日比谷野音が「ロックの聖地」と呼ばれるきっかけにもなった。
キャロル解散後、矢沢は単身渡米し、ロサンゼルスでレコーディングした『アイ・ラヴ・ユー、OK』をひっさげてソロデビュー。
キャロル時代のイメージを払拭すべく、バラードを中心とした新たなカラーを打ち出したが、最初はさんざんな評価だった。