意外に大興奮、のはずが……自作の詩を読みながら致していた話 (2/3ページ)
死ぬ時はこの詩を燃やしてから死ぬように」とお願いして帰ってきた。彼は「じゃあ棺桶に入れようかな?」と変なテンションではしゃいでいたが。
ちなみにそれから半年ほど経って、得意のネトストに精を出していたところ、彼のツイッターアカウントを発見した。我慢できずに投稿を遡ってみると、私のあげた詩の一部が載っていて、奇声をあげてしまった。「消してくれ」とまた連絡を取るのも嫌なので放置しているが、やっぱり気になって、今でもたまにそのアカウントを覗きにいってしまう。
■イタい恋から得た教訓「どうせイタいなら、とことんイタく」
小中学生のころから、人を好きになるたびに、詩や手紙を書いて送りつけたものだった。「あなたが世界一かっこいい」とか「思い出しただけで濡れる」とか、そういう内容の文章が今どうなっているか考えるだけで叫び出したくなるが、それでも昔はまだネットに流出することが少なかったから救われていたかもしれない。
今はすごく手軽にSNSに上げられる時代だから、このコラムに書いた彼以外にも、私の知らないところで私のイタい文章がきっとシェアされているだろう。そういう意味では、本当にシェアされたらヤバいものは、どんなに好きな人でも渡さないようにしたいものだ。別れ際に「消して」とか「アップしないで」とかお願いしても、応じてくれない人もいるから。
まぁでも「別れた時のことを想定してやめておく」みたいなことが恋愛中にできるのなら苦労しない。私は、過去の自分の文章の恥ずかしさにいたたまれなくなったときは、万葉集のオトナな意味の和歌や、文豪の恋人宛の手紙などを思い出すことにしている。「早く逢いたい」「君と逢えない間はさみしい」(逢う=体を重ねること)みたいなことばかり書いてあるのに、図書館や本屋に公然と置かれ、たくさんの人に読み継がれている。私のショボい詩がひっそりとSNSに載ったくらいで、まぁいいか、と思えてくる。
坂口安吾の『恋愛論』にこんな一節がある。