【鎌倉殿の13人】暗殺?毒殺?『吾妻鏡』が伝えない北条義時の死因を紹介 (2/4ページ)
挙げ句の果てには、畏れ多くも後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)にまで弓を引いて屈服せしめた……という逆賊中の逆賊・日本史上屈指の極悪人として名を遺した義時が、畳の上で死ぬなんて許せません。

今年でこそ大河ドラマで脚光を浴びているものの、従来は極悪人として嫌われてきた義時。もちろん、彼にも彼の言い分はあったろうが。守川周重筆
死ぬ直前になって仏に帰依して、地獄に堕ちたくないから必死に念仏を唱えたくらいで許されるなんて納得いかない……という願望なのか、あるいは『吾妻鏡』≒執権北条氏当局が隠蔽した真実なのか、義時が暗殺されたとする説を『保暦間記』が伝えています。
……元仁元年六月一二日六十三歳義時思外ニ近ク召仕ケル若侍ニツキ殺サレケリサシモ十善帝王ノ勅命ニ背ノミナラス居ナカラ打勝進ラセレカ共業因ノカレカタキニヤ懸ル不思議トモ□ホウシテ逝去シ玉ヒヌ……
※小瀬道甫『保暦間記』より
【意訳】6月12日、義時(63歳)が側近の若侍に刺殺された。畏れ多くも天皇陛下(十善帝王)に謀叛を起こした罪業から逃れることはできず、かくして権力の絶頂にありながら、無念の最期を遂げられたのであった。
何と義時が側近に暗殺されていたというのです。また藤原定家(ふじわらの ていか)の日記『明月記』では、こんな記述もあります。
……只早頭をきれ、若不然は又義時か妻が義時にくれ遣さむ薬されこるてくはせて早ころせ……
※『明月記』安貞元年(1227年)6月11日条
【意訳】とにかくさっさと首を刎ねろ。