江戸時代の京都を守ったお城は二条城ではなく、2つの浄土宗寺院だったー2023年大河『どうする家康』こぼれ話【前編】 (2/4ページ)

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その証拠に、1626(寛永3)年の後水尾天皇の行幸の後は、多くの建物が撤去され、1634(寛永11)年の第3将軍徳川家光の入城後は、将軍の入城が絶えます。

二条城・天守台(写真:高野晃彰)

その後、二条城は半ばほったらかし状態のままで放置され、荒廃が進んで行きました。

そして、1860(万延元)年に起きた京都地震では、櫓を始めとする建物に大きな被害が生じてしまうのです。

幕末になり復旧された二条城

しかし、1862(文久2)年に14代将軍家茂の上洛が決まると、二条城は急ピッチで復旧作業を施され、二の丸御殿の修復、本丸仮御殿の建設が完了しました。

徳川将軍家の京都政庁として復旧した二条城。だが、政治の表舞台に立つのはあまりにも時間が短すぎました。1867(慶應)年10月、第15代将軍慶喜は、ここで大政奉還を行い、約260年間続いた江戸幕府は終焉を迎えます。

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