各地に残る”生存説”。関ケ原の戦いに敗れた西軍の総大将・石田三成 (2/2ページ)

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加えて、かつて石田三成の部下で関ケ原の戦いで討死にしたとされる島左近も実は生き残っていたという説があります。

近年大阪城天守閣が購入した島左近の肖像の箱の蓋に、左近が関ヶ原の戦いの後、京都北山に隠れ住み、後に徳川家康と会って仕官を勧められたものの固辞し、伊吹山に隠棲。寛永9年に亡くなったことが記されていたそうです。

後に「天下分け目の戦い」と称された関ケ原の戦い。事実は意外と温情で許されたケースもあったのかもしれませんね。

参考

三浦 竜『戦国武将・闇に消されたミステリー いまだ解けない80の謎 』(PHP出版 2005) 読売新聞(2013年7月16日号 夕刊)

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