「国葬」って何?戦前・戦後の違いとその歴史、これまで国葬で弔われてきた人たちをチェック!

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「国葬」って何?戦前・戦後の違いとその歴史、これまで国葬で弔われてきた人たちをチェック!

戦前の国葬

日本には明治時代以降、国に大きな功績を残した人を、国が追悼する「国葬」という儀式があります。

実は戦前は国葬に関する法律があったのですが、戦後は廃止されたので、同じ「国葬」と言っても戦前と戦後では少し内容が違います

そんなことも含めて、今まで国葬が行われた人たちには誰がいたのか、見ていきましょう。

まずは戦前の国葬の歴史から見ていきましょう。

戦前に国葬が行われた人としては、右大臣の岩倉具視や陸軍大将の有栖川宮熾仁親王、内閣総理大臣経験者である伊藤博文山縣有朋松方正義西園寺公望など29人います。

西園寺公望の国葬(Wikipediaより)

一方戦後になると、ご存じの通り吉田茂ただ一人です。

国葬の費用は全額を国が負担するため、やたらめったら国葬になるわけではありません。また、戦前の日本には国葬令という法律が制定されており、国葬の対象者は最初から決まっていました。

それによると、まず第一に国家に大きく貢献した人物であること。さらに旧・薩長藩主であることや、太政官制における大臣経験者首相や元帥の経験者などが対象でした。

山本五十六の国葬(Wikipediaより)

戦後、この法律が廃止されたことで、国葬の件数は一気に減りました。

吉田茂あるいは合同葬

戦後に唯一行われたケースである吉田茂の国葬は、内閣の閣議によって決まりました。

吉田茂(Wikipediaより)

吉田茂は1967年10月20日に死去。家族によって行われた葬儀に続けて、同月31日に日本武道館で実施されています。

これは、当時の内閣総理大臣だった佐藤栄作の強い希望があったと言われています。彼は有名な吉田学校池田勇人と並んで吉田から世話になっており、いわば師弟関係にありました。

佐藤栄作(Wikipediaより)

また、造船疑獄の時には「指揮権発動」によって、吉田はいわば身を挺して佐藤を助けています。佐藤にとって吉田は、自らの政治家生命を賭して助けてくれた恩人でもあったのです。

しかしこれは極めて稀なケースであり、戦後の国葬に関しては基本的には行われないものと考えてよさそうです。

その他の葬儀

国葬の他にも、国を挙げて行う大規模な葬儀が存在します。

まず日本の天皇、または上皇の葬儀を「大喪の礼(たいそうのれい)」と言います。これは国葬とは違って皇室典範で定められており、国の儀式として執り行われることが決まっています。

また、費用の全額を国費で賄う国葬と違い、費用の一部分を国が負担する葬儀を「国民葬」と言います。大隈重信佐藤栄作の葬儀はこの国民葬で行われました。

大隈重信(Wikipediaより)

他にも、内閣と所属政党が共同で執り行う葬儀を「合同葬」と言います。小渕恵三橋本龍太郎宮沢喜一中曽根康弘などの葬儀が合同葬で行われました。

国葬令が廃止されてからは、首相経験者などの葬儀は、こうした国民葬や合同葬などの形式で行われることが多いようです。

中曽根康弘の内閣・自由民主党合同葬(Wikipediaより)

首相経験者の合同葬の場合、その費用はおよそ1億5千万円ほどかかると見られています。その中で公費負担は1億円弱とも言われています。この金額の膨大さから、多少なりとも国民による反発が起こるようです。

加えて新憲法で定められた「国による宗教行為の禁止」もあり、近年では国民葬が執り行われるのも稀で、合同葬も首相経験者でなければなかなか行われないようです。

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