永瀬正敏インタビュー「樹木希林さんが教えてくれたこと」「オファーを受けるのは、台本を読んでいて途中下車しなかった作品」

日刊大衆

永瀬正敏(撮影・弦巻勝)
永瀬正敏(撮影・弦巻勝)

『ションベン・ライダー』という映画でデビューして、今年で40年になります。その中にはたくさんの素晴らしい方との出会いがありました。

 デビュー作に続いてもう1本撮った後に数年間、僕は映画に出る機会がなくなってしまったんですね。そんな僕を映画の世界に呼び戻してくれたのが、ジム・ジャームッシュ監督でした。

 彼の作品が好きでたまらなかった僕は、新作映画で日本人キャストのオーディションをやると聞いて迷わずチャレンジして、『ミステリー・トレイン』という映画に出演することができた。これは、僕の俳優人生において非常に大きな出来事でした。

 20代のときに『息子』という映画で親子役を演じた三國連太郎さんもそう。撮っているときは「俺もけっこうやれてるかな」と思っていたのに、映像で見たら背中しか映っていない三國さんに、思いっきり負けていた。三國さんからは、“存在感”というものを学びましたね。

 そして、樹木希林さん。若い頃の僕は、自分がどう演じるかしか考えられず、野球で言えば投げるばっかり(笑)。でも、キャッチするほうが面白いと気づかせてくれたのが、希林さんでした。希林さんは、けっして自分の手柄にしないんですよ。必ず相手役の手柄にする。僕もこんな俳優になりたいと強く思いました。

 僕は、映画などのお話をいただいたときは、台本を読んでからお受けするかどうか判断するようにしています。今振り返ってみると、途中下車しなかった台本の作品に参加していることが多い。“途中下車しなかった”とは、読んでいる最中に「あ、メールが来た」とか「ちょっと飲み物を」とか中断することなく、最後まで一気に読み終えたということです。

 今回出演した『百花』という映画も、台本の1ページ目から“物語”という列車に心地よく揺られて最後まで読み、本を閉じたときに“ぜひ出演させていただきたい”と思った作品でした。

原田美枝子さんは、僕が宮崎の中学生の頃から、なんてステキな人なんだろうと憧れていた

 僕が演じたのは、認知症を患って記憶を失っていく百合子という女性が、かつて愛した浅葉という男です。

 作品では、認知症という病によって彼女の記憶が薄れていくわけですが、病気じゃなくても多かれ少なかれ、こういうことってあるような気がします。親から「あなたが子どもの頃、こんなことがあった」と聞いたエピソードが、いつの間にか自分の記憶になってしまっていたり……。記憶というものの不安定さ、あいまいさを、改めて考えさせられました。

 百合子を演じた原田美枝子さんは、僕が宮崎の中学生の頃から、なんてステキな人なんだろうと憧れていた方です。自分が俳優の仕事をするようになってからも、好きな作品に出演されていることが多かったり、まだ俳優がプロデュースや監督をするのが珍しかった時代に、自ら原案、脚本、製作、そして主演もされて映画を作られたりと、さまざまな意味で尊敬していました。

 あと、僕は原田さんが日本一……いや世界一、キスシーンが色っぽい女優さんだと思ってるんですよ(笑)。今回もいい作品で、素晴らしい出会いができたと思っています。

 僕は56歳になりました。世間的にはいい大人なんですが、実年齢と精神年齢の差はズレていくばかり。若い頃のイメージだと、もっとちゃんとした大人になっているはずだったのに、全然ちゃんとしていない(笑)。

 でも、せっかく“映画”という大好きな世界にいるのだから、この先もずっと関わっていたいと願っています。

 映画の魅力は、多くの言葉で語らなくても、映像で心情を伝えられることだと思っています。すごく引きの画で後ろ姿を見せているだけなのに、寂しさが表現できる。雨が降る様を見せることで、悲しみが伝わる。

 それが、僕の大好きな「映画」という世界なんですよね。

永瀬正敏(ながせ・まさとし)
1966年7月15日生まれ。宮崎県出身。1983年、相米慎二監督の映画『ションベン・ライダー』で俳優デビュー。1989年にジム・ジャームッシュ監督の『ミステリー・トレイン』出演で注目を集め、1991年には『息子』で日本アカデミー賞最優秀男優賞と新人俳優賞を受賞。主な出演作は、映画『誘拐』『パターソン』『私立探偵濱マイク』シリーズ、『ホテルアイリス』など。

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