関東軍が満州事変を起こした本当の目的は何だったのか?ソ連対策と「リストラ阻止」のための策謀
満州事変勃発!
1931(昭和6)年の満州事変は、昭和恐慌から抜け出すために、市場の活性化や失業者対策として関東軍が起こしたとされています。
そういう効果もあったかも知れませんが、関東軍の本当の狙いは別のところにありました。
そもそも満州事変とは、1931年に中国の柳条湖で、南満州鉄道の線路が日本の関東軍によって爆破された事件です。関東軍は、当時満州に駐屯していた日本陸軍の部隊の一つでした。
柳条湖事件の現場に近い中国・瀋陽市にある「九・一八歴史博物館」
関東軍は、「爆破は中国軍の仕業である」と偽り、これをきっかけにさまざまな軍事行動を起こすようになります。
では、関東軍の本当の狙いは何だったのでしょうか?
「ソ連侵攻抑止」説関東軍の本当の狙いは、二つありました。
一つ目はソ連の侵攻を防ぐというものです。
当時、関東軍はソ連の動きを注視していました。世界恐慌に各国が苦しむ中、ソ連は経済の発展も軍備増強も、世界初の社会主義国家としてうまくいっているように見えたからです。
万が一戦争になった時に備えて、防衛するにしろ侵攻するにしろ、関東軍は有利な場所に拠点を確保したいと考えていました。
もともと、満州での日本の権益として条約上認められていたのは、旅順と大連の小さな土地と、南満州鉄道沿いの付属地だけでした。
よって、関東軍もそこの守備だけを任されていたのですが、対ソ連の戦略的軍事拠点とするためには、満州全土を掌握する必要があります。
しかしそれは、日中の外交交渉で認められることではありませんでした。満州全土を自由に使えるようにするには、軍事力によって支配するしかなかったのです。
またソ連との位置的な関係だけでなく、満州は軍事物資を確保するのにもうってつけの場所でした。満州には炭鉱があり、石炭や鉄鉱石が採掘されていたからで、実際、当時の関東軍の参謀だった石原莞爾もそれははっきり明言しています。
つまり関東軍は、満州の植民地支配を目論んでいたのでした。
「軍人リストラ回避」説そしてもう一つ、満州事変の本当の狙いと考えられているのが、軍人のリストラを回避するためというものです。
第一次世界大戦後、世界は軍縮の流れに傾いており、日本も1930年にはロンドン海軍軍縮条約に署名しています。これは第一次世界大戦の戦勝国であるイギリス、アメリカ、フランス、イタリア、日本の海軍の軍事力の増強を制限する条約でした。
海軍軍令部や野党の反対を押し切ってロンドン海軍軍縮条約を締結した浜口雄幸(Wikipediaより)
こうして、第一次世界大戦前には国家予算の半分を占めるほどだった軍事費は、軍縮条約締結後には4分の1にまで減ってしまったのです。
当時、日本の政治では民政党と政友会の多少の摩擦はあったものの、いずれの政党も軍縮には賛成していました。すると、軍縮で割を食うことになるのは軍人です。
軍事費が削られるということは、軍備を強化できないどころか軍人も雇えなくなってしまいます。つまりリストラされてしまう軍人が出てくるのです。
これを回避するために現場の軍人たち――ここでは満州に駐屯していた関東軍――が、半ば強行的に行動を起こしたのが満州事変だったのでした。
参考資料
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』SB新書、2016年
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan