見習い遊女は”廻し部屋”、上級遊女は個室……知られざる遊郭の「お部屋事情」
現代になっても、そのなかの様子が気になる昔の遊郭。さまざまな文献や資料をもとに、どんな世界が広がっていたのだろう?と想像を膨らませる方も多いのではないでしょうか。
そこで今回の記事では、遊郭の「部屋」に焦点をあて、その特徴などをご紹介していきたいと思います。
なお、今回ご紹介する部屋は、遊女とお客さんが過ごす部屋に絞っています。
上級遊女は自分の部屋を持っていたご存じの方も多いかもしれませんが、遊女たちのあいだには厳格な階級がありました。有名な「花魁(おいらん)」は、上から「呼出し昼三」、「昼三」、「座敷持」、「部屋持」という順になっています。
昼三と座敷持は、通常過ごす個室と、お客さんを迎える座敷が与えられていました。部屋持は個室が与えられていましたが、普段の生活の場と、お客さんを迎える場を兼ねたものでした。
見習い遊女は共用の大部屋遊郭に入ってきたばかりの小さな女の子たちは、まずは「禿(かむろ)」として始まります。おおよそ15歳くらいまでの子どもで、花魁の身の回りの世話や雑用をしながら、遊郭のしきたりを学んでいきました。
16歳ごとになると見習いの「新造(しんぞう)」となります。「水揚げ」と呼ばれる処女喪失の機会を経て、お客さんを取るようになりました。
とはいえ、上記の上級遊女たちのように個室が与えられたわけではありません。接客の場は「廻し部屋(まわしべや)」という共用の大部屋(割床)でした。布団がたくさん敷き詰められ、そのあいだは屏風一枚で仕切られただけ、という環境でした。物音や声は筒抜けのため、さまざまな悶着が起きていたようです。
この割床は、岡場所や各地の宿場の女郎屋などでは一般的で、吉原でもめずらしいことではなかったようです。
また、新造は起居の場も花魁のように個室を与えられたわけではなく、禿と一緒に大部屋に雑魚寝していたといいます。
遊女が来れば「もてた」、来なければ「ふられた」同時に複数の客をつけることを「廻し」といいます。お客さんは自分の番が来るのを待たなければいけないのですが、きちんと遊女が自分のところに来たら、俗に「もてた」といったそうです。
逆に、遊女が最終的に来なかった場合は「ふられた」といったそうです。割床のときに自分だけ遊女が来なかったら、フラストレーションが溜まりそうですね。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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