情報社会で長年トップに君臨し続けた新聞の歴史に迫る!起源から明治まで【前編】

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情報社会で長年トップに君臨し続けた新聞の歴史に迫る!起源から明治まで【前編】

近年、テレビや雑誌、インターネットの普及によって情報が簡単に入手できるようになり、新聞を読まないことを選択する人も増えつつあります。そのため、学校教育以外では新聞を読んだことがないという人も多いかもしれません。

けれど新聞は、これまで150年もの長い間、日本の情報社会を支えてきたツールでもあります。

今回は、新聞の誕生から時代ごとに担ってきた役割についてみていきましょう。

国内最古の新聞

国内最古の新聞は、1872(明治5)年2月21日に東京日日新聞が刊行したものです。

東京日日新聞は現在の毎日新聞で、今年150周年を迎えています。ですが、新聞は1872年に突然誕生したわけではありません。

新聞の原型

日本における新聞の原型と言われているのが、「瓦版」。手持ち看板のような木板に、紙面を貼り付けたものだったとか。また、現存しているのは、1615年に刊行された「大阪夏の陣」に関する事柄を扱った瓦版で、最古のものだと言われています。

大坂安部之合戦之図

江戸時代後期になると、瓦版の内容を読みあげながら売り歩く「讀賣(よみうり)」とよばれる商人が浮世絵に描かれるなど、身近なメディアとして庶民の生活に浸透していきました。

瓦版から新聞へ

江戸時代後期~明治初期になると、オランダ人から新聞製作の技術が伝わります。

アマビエの出現を報せた当時の瓦版

瓦版では庶民に身近なニュースが報道されていましたが、新聞では国外のニュースも取り扱われるように。鎖国制度を打ち破ろうとする外圧が新聞を後押ししたこともあり、新聞は地位を確立したのです。

大新聞と小新聞

明治初期に誕生した新聞には「大新聞」と「小新聞」の2種類がありました。

「大新聞」は政治評論を中心とした言論新聞で、士族や官僚などのインテリ層に向けた漢文調の活字で販売。 内容は「政府に肩入れした内容を書く新聞」と「政府を徹底的に批判する新聞」があったと言います。

「小新聞」は世間が注目する事件や現代で言う夜の街・花柳界のウワサなどを記事にして、主婦や一般大衆が読みやすいようにフリガナや挿絵を入れて低価格で販売されました。

1880年代になると政府の弾圧によって言論新聞の規制が敷かれ、経営に行き詰まった大新聞は運営を継続させるため、庶民の関心が高い俗事ネタを中心に取り扱うように。大阪でも、「朝日新聞」などの小新聞社が地域に密着した俗事の報道をスタートさせ、大新聞と小新聞は次第に統合されたのです。

東京の小新聞の闇

1874年1月17日に政治権力を官僚らが独占していること批判する「民撰議院設立建白書」が提出され、国民の自由民権運動への意識が高まり、政論新聞が次々に誕生しました。

このとき、もともと東京で出版されていた多くの小新聞も政党から発行されるようになったのです。

次第に東京の小新聞は政党新聞化し、政争の武器として利用されるように。

各政党がそれぞれの思想のもと書いた新聞を発行するようになったことで、独裁的な政治を行う政府のやり方に反感を抱く国民も現れます。

国民の反感を恐れた政府は、新聞による批判言論を抑えるために「讒謗律」をはじめ、新聞紙条例や出版条例、集会条例、保安条例を制定することで、新聞出版を厳重に取り締まりました。この影響もあって自由民権運動下では数多くの新聞記者が弾圧され、投獄されるなどの被害が相次いだのです。

後編では、明治後期に起こった戦争やその後の政治に巻き込まれていく新聞の歴史を紹介します。

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