根來寺に鉄砲隊あり!「天才」により開かれ戦国の世にその名を轟かせた名刹 (3/4ページ)
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根來寺
算長は自ら種子島に渡り、南蛮製の鉄砲と火薬の製法を持ち帰ると、根來に住む鍛冶師・芝辻清右衛門に製作を依頼しました。
日本最古の砲術である津田流砲術の津田とは、この津田監物算長のことをいいます。
そして、いち早く鉄砲を入手し、その量産に成功した根來衆はどんどん勢力を伸ばします。
その勢力は紀伊内に留まらず、和泉や岸和田に及びました。周辺の戦国大名たちも根來衆のことは無視できませんでした。
根來寺の敗北さて、石山本願寺の合戦の折には、根來衆は織田方に就いて活躍します。織田信長が雑賀衆を討伐する際もその力を貸しました。
しかし信長が本能寺の変で討たれると、根來衆は雑賀衆と共に徳川方に就きます。さらに秀吉の留守中に岸和田城に侵攻したことから秀吉の怒りを買い、1585年には秀吉の紀州征伐を受けてしまいました。
根來寺は、雑賀衆の鉄砲隊とともに抵抗しますが秀吉の10万の軍勢に次々と打ち破られて敗北します。
寺の境内は焼き討ちに遭い、大師堂や大塔など数棟を残して焼け落ちてしまいました。現在も大塔には当時の戦乱の激しさを示す弾痕が残っており、明治時代には国宝に指定されています。