いざ聴かん、カッコウの声…源実朝が北条泰時たちと早朝バードウォッチングに出かけたお話し【鎌倉殿の13人】

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いざ聴かん、カッコウの声…源実朝が北条泰時たちと早朝バードウォッチングに出かけたお話し【鎌倉殿の13人】

♪カッコウ、カッコウ……♪

静かな森に響き渡るカッコウ(郭公)の声は、もののあはれを寸とも解さない(例えば筆者のような)無骨者の心さえ震わせる美しさ。

なれば風雅をこよなく愛した芸術肌の鎌倉殿・源実朝(みなもとの さねとも)がそれを聴いたなら、どんな一首を詠んだことでしょうか。

森に響くカッコウの声、素敵ですよね(イメージ)

殊にその年の初啼きは感慨もひとしお……ということで、さっそく聴きに行こうと張り切るのですが……。

今回は鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』より、カッコウの声を聴きたがった実朝のエピソードを紹介したいと思います。

いざ聴かん、郭公の声……ワクワクしながら永福寺へ

「何、カッコウが啼いたとな?」

時は建暦元年(1211年)4月28日、実朝はカッコウの初啼き情報を入手して心躍らせました。

「何でも永福寺(ようふくじ。現:鎌倉市二階堂)の林で耳にしたとか。将軍家がお好みかと思い、報告した次第にございます」

「そうじゃな。今年はまだカッコウの声を聴いておらぬゆえ、さっそく明朝聴きに参ろう。太郎(相模太郎=北条泰時)よ、支度をせい」

「ははあ」

……という訳で翌日の未明。まだ夜明け前というのに、実朝はいそいそと永福寺へとお出かけです。

いざ、郭公の声を聴きにお出かけの実朝(イメージ)

ここでドラマなんかだと、こっそり御所を抜け出してのお忍びなのでしょうが、そんな訳には行きません。

北条泰時(ほうじょう やすとき)はじめ、藤原範高(ふじわらの のりたか)・内藤知親(ないとう ともちか)・二階堂行村(にかいどう ゆきむら)・東重胤(とうの しげたね)・町野康俊(まちの やすとし)らがお供として付き従います。

((やれやれ、何だってこんな時間に……))

少なからぬ御家人たちが内心不満に思ったことでしょうが、カッコウは早朝(個体によりそれ以前)に啼くため、声を聴きたければこのくらいの時間がいいのです。

「さぁ着いたぞ。カッコウは啼いてくれるかな?」

「啼いてくれるといいですねぇ……」

しかし、待つこと数時間。すっかり夜が明けてもカッコウは一声も啼いてくれませんでした。

「……空振りでしたね」

「仕方ない。帰ろうか」

せっかく眠いところ我慢してやってきたのに……実朝ご一行様は、トボトボと御所へ帰って行ったということです。

終わりに

陰。未明。將軍家渡御永福寺。相摸太郎殿候御共給。其外範高。知親。行村。重胤。康俊等也。上下爲歩儀。是於此所。昨朝聞郭公初聲之由。依有申之輩也。至林頭。數尅雖令待之給。無其聲之間。空以還御。今日。當寺事。可令行村奉行之旨。被仰付之。

※『吾妻鏡』建暦元年(1211年)4月29日条

以上、カッコウの声を聴きそびれた実朝のエピソードを紹介しました。

ホトトギスの声も、素敵ですよね(イメージ)

ちなみに、この「郭公」をカッコウでなくホトトギスとする(よく似ているので混同される)解釈もあり、実朝の歌集『金槐和歌集』にはホトトギスを詠んだ歌も多く残されています。

やまちかく いへゐしをれは ほとときす
なくはつこゑは われのみそきく

※『金槐和歌集』より

【意訳】山近い家の中、ホトトギスの啼いた初声を、私だけが聴いている。

世の中の雑音を排して、静かな空間で独り、ホトトギスの声にうっとりしている実朝の姿が目に浮かぶようですね。

鎌倉殿だからこそ風雅を愛する余裕があった一方で、鎌倉殿だからこそ世の雑音から逃れられなかった実朝。その苦悩と葛藤は、多くの作品から偲ばれます。

※参考文献:

五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月

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